74「封印と勝利者キリスト」

 「すると、長老のひとりがわたしに言った、『泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる。』わたしはまた、御座と四つの生き物との間、長老たちの間に、ほふられたとみえる小羊が立っているのを見た。それに七つの角と七つの目とがあった。これらの目は、全世界につかわされた、神の七つの霊である。小羊は進み出て、御座にいますかたの右の手から、巻物を受けとった。」黙示録5:5〜7

 この時ヨハネは贖われた長老の一人から「泣くな」との言葉によってなぐさめられた。その上なお長老は全ての悲しみを慰められる唯一の方すなわちイエス・キリストを示した。じつにキリストのみが神の民に彼等の要する知識を与え、我等の救いのために神の全ての目的を成就し得るお方である。
 キリストは「ユダ族のしし」といわれている。ししは獣の王であるように、キリストは最高の権威と権力をもっておられる方である。
 キリストはダビデの根、すなわちダビデの勢力の源、あるいは支持者である。ダビデは神の心にかなう者といわれる人であり、歴代のイスラエル王の中最も大いなる王であり、かつキリストの典型とされた者であった。またダビデの統治は不完全ながらキリストがその民を統制されるそれの典型であった。イエスの生誕前天使ガブリエルはその母マリヤに「主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、」(ルカ1:32)といった。キリストは系図によればダビデの末であり、ダビデ王の父エッサイの株より出た芽と呼ばれている。(イザヤ11:1−10、黙示録22:16)
 キリストは勝利者であるので封印を解く資格がある者である。いと高き神の御子が人間と同じ肉を備えて地上にくだり、最も大いなる試練に打ち勝ち、罪の中にあって微塵も罪ない生涯を送り、犠牲なしに世界を取り戻すようにとの全ての誘惑を退け、最後に我等の救いの為に大いなる犠牲、すなわち残虐な十字架上の死を遂げられたのであった。このようにしてキリストはサタンを征服し、死の力にも打ち勝たれたが、これは我等の為に巻き物を開き、その封印を解くに堪えるためであった。またキリストは我等のために勝利の模範を示された。およそ真のクリスチャンには迫害や試練の十字架が伴うものである。しかし真のクリスチャンという者はキリストと共に十字架につけられる事をむしろ特権と考えるのである。なぜなら彼等の罪深い性質が滅びて、新たな生命に甦らされる事を願うからである。罪との争闘において人はキリストによって勝利を得、そして最後に義人の甦らされる時死に打ち勝つのである。

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