「神と人に対する愛を含んでいる」

  「イエスは言われた、『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。……『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。」(マタイ22:37-39)

 恵みの全体の働きは、愛と克己と自己犠牲的努力のたえまない一つの奉仕である。キリストが地上に滞在しておられた一刻一刻に神の愛はおさえることのできない流れとなってキリストから流れていた。キリストのみたまを吹きこまれる者はみなキリストが愛されたように愛するのである。キリストを動かした原則がお互いの間における彼らの態度の動機となるのである。
 この愛は彼らが弟子であることの証拠である。……人が強制や利己心によってではなく、愛によってむすばれるとき、彼らは人間の力にまさる力が働いていることを示すのである。この一致があるとき、それは神のみかたちが人のうちに回復され、新しい生命の原則がうえつけられた証拠である。それはまた超自然的な悪の力に抵抗するのに神の性質には力があるということ、神の恵みは生れつきの心に固有の利己心を征服するということを示している。(各時代の希望下巻167,168)
 自己がキリストの中にとけこむとき、愛は自然にわいて出る。他を助け、祝福しようとする気持ちが常に内からわき出て、天からの光が心にあふれ、顔に表わされるとき、クリスチャンの品性が完成の域に達するのである。
 キリストが住まれる心に愛が欠乏することはない。神がまずわたしたちを愛してくださったために、わたしたちも神を愛するのであるならば、わたしたちは、キリストが命をおすてになってまで愛されたすべての人びとを愛するようになる。神と接触していながら、人間と接触しないということはできない。宇宙の王座にすわっておられるキリストのなかには、神性と人性が結合しているのである。キリストに連なるものは、愛という金の鎖によって、同胞と結ばれているのである。こうして、キリストのあわれみと同情とは、わたしたちの生活にもあらわれてくる。……わたしたちが、貧しい者や苦しむ者に奉仕することは、キリストが、あまねくめぐって善を行なわれたのと同様に自然にできるのである。(キリストの実物教訓362)
 神の律法は、人がこの上なく神を愛すること、そして自分を愛するように隣人を愛することを要求する。わたしたちの主イエス・キリストの恵みを通して、これが完全に成される時、わたしたちはキリストにあって完全となるであろう。(SDAバイブル・コメンタリー5巻1097)

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