「品性建設を伴っている」

 「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。」(ペテロ第一2:9)

 神の律法に対する従順は、人の内に清く聖なる汚れのない全てのものに一致する美しい品性を発達させる。そのような人の生涯には、キリストの福音のメッセージが明らかにされている。キリストの憐れみと罪の力からのこのお方の癒しを受けることによって、彼は神との正しい関係に入れられる。彼の生涯は、虚栄心と利己心から清められて、神の愛によって満たされる。神の律法への彼の日毎の従順は、神の御国における永遠の命を保証する品性を彼に得させる。(神のむすこ娘42)
 キリストは、品性を完成することがやさしいことであるとは、保証しておられない。高潔で円満な品性というものは、親から遺伝的にうけつぐものではない。また、偶然、ころがり込むものでもない。高潔な品性は、キリストの功績と恵みによって、人びとが努力することによって得られるものである。神は、タラント、すなわち、精神の能力をお与えになる。そして、わたしたちが、品性を形成するのである。品性は、自己とのきびしい戦いによって形成される。生来の傾向に対しては、争闘に次ぐに争闘をもって当たらなければならない。わたしたちは、きびしく自己を批判して、一つとして汚点を取り除かないで放っておくようなことをしてはならない。(キリストの実物教訓305)
 人が高められた自分の霊的品性によって、世が与えることができる以上の力と、真理に調和した聖なる特別な感化を示すことのない者にとって、真理は真理ではない。真理によって清められた者は、救いの生きた感化を、接触するすべての人々に及ぼすのである。これが聖書の宗教である。(牧師への証378)
 わたしたちはたえずキリストの新たな黙示と、その教えに一致した日常の経験とを必要とする。高尚な、神聖な域に到達することは可能であって、絶えず知識と美徳が向上していくことは、わたしたちに対する神のみ旨である。神の律法とは神がすべての人を招いて、「もっと高く上がってきなさい。もっともっと、きよくなりなさい」と言われるみ声の反響である。このゆえにわたしたちは日々、クリスチャン的品性の完成に進むことができるのである。(ミニストリー・オブ・ヒーリング490)

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