「清潔が要求されている」

  「神がわたしたちを召されたのは、汚れたことをするためではなく、清くなるためである。」(テサロニケ第一4:7)

 命は神からの賜物である。わたしたちの体は、神の奉仕に用いられるためにわたしたちに与えられたのであり、神はわたしたちがそれを大事にし、正しく理解することを望まれる。わたしたちは精神的機能と、身体を持っている。わたしたちの衝動と情欲は体に存在しているのであり、わたしたちはこの委ねられた所有物を汚すことを何一つしてはならない。わたしたちがタラントを最善に用いることができるためには、わたしたちの体を、最高の霊的感化の下で肉体をできる限り最高の状態に保たなければならない。コリント第一6:13を読みなさい。(健康への勧告41)
 わたしたちの体は、神に属している。神は、魂のためと同じく、体のためにも贖いの値をお払いになった。……神は、人間という機械を管理する偉大なお方であられる。わたしたちの体を管理するために、わたしたちは神と協力しなければならない。神に対する愛は、命と健康にとって不可欠である。完全な健康を持つためには、わたしたちの心が希望と愛と喜びで満たされていなければならない。
 低い情欲は、厳しく見張るべきである。情欲が猛威をふるうことを許される時、洞察力の機能は、ひどく酷使されるのである。情欲をほしいままにするとき、血は、体全体に循環することによって心臓を和らげ、思いをはっきりさせる代わりに、過度に内臓に送られるのである。結果として病気が生じる。悪を見つけ直さない限り、人は健康になることはできない。「主につく者は、主と一つの霊になるのである。不品行を避けなさい」(コリント第一6:17,18)論じようとして一瞬でも立ち止まってはならない。サタンは、あなたが誘惑に倒されるのを見て喜ぶであろう。弱い良心をもって問題を論じ合うために立ち止まってはならない。違反の初めの一歩を避けなさい。
 自分は賢いと自称している者、自分の力で生活の義務を果たすことができると感じているすべての者は、ヨセフの模範に倣うように。賢者は食欲と情欲によって治められ支配されるのではなく、それを支配し治めるのである。彼は神に近づき、生活の義務を正しく果たすために思いと体を準備することに励むのである。……サタンは破壊者であり、キリストは修復者である。(同上586-588)

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