「キリストに似るように励ます」

 「『彼におる』と言う者は、彼が歩かれたように、その人自身も歩くべきである。」(ヨハネ第一2:6)

 福音を、生命のない理論としてではなくて、生活をかえる生きた力として示さねばならない。神は、ご自分の恩恵を受ける者たちをその力の証人にならせようと望んでおられる。……神の恵みによって人はキリストのような品性を持つことができ、神の大いなる愛の保証をよろこぶことができるということについて、神はご自分のしもべたちがあかしをたてるよう望まれる。人類が神のむすこ、むすめとしてその聖なる特権を回復し、復帰するまで神は満足することがおできにならないということについて、われわれにあかしをたてさせたいと神は望まれる。」(各時代の希望下巻375,376)
 神の民は、神に完全に、心から仕え、自分自身に誉れを帰すことをせず、自分たちは最も厳粛な契約によって、主と神にのみ仕えるということを覚える民として区別されるべきである。(教会への証9巻17)
 神は、神の子らに完全を求められる。神の律法はご自身の品性の写しであり、またすべて品性の標準である。神がどのような人びとによってみ国を構成なさるかについてだれもまちがいをしないように、この永遠の標準がすべての者に与えられている。キリストの地上生活は神の律法の完全な表現であった。そして自分は神の子であると表明する者の品性がキリストのようになれば、彼らは神の戒めに従うのである。そのとき主は、天の家族を構成する一員として彼らを信頼することがおできになる。彼らはキリストの義の輝かしいよそおいを身にまとって、王の婚宴の座につく。彼らは血で洗われた会衆に加わる権利を持つのである。(キリストの実物教訓294)
 わたしたちは、すべての事柄をキリストの模範の光によって見るべきである。このお方は真理である。このお方は世のすべての人々を照らす真の光である。このお方のみ言葉に耳を傾け、自己否定と自己犠牲の模範に倣い、このお方があなたに与えようとして持っておられる品性の栄光を求めて、キリストの功績を見上げなさい。キリストに従う者は、自分を喜ばせるために生きない。人間の標準は弱々しい葦のようなものである。主の標準は品性の完全である。(牧師への証419,420)

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