117「セレウクス・カリニカスとトレミー・エウエルゲテス」


 「そのころ、この女の根から、一つの芽が起って彼に代り、北の王の軍勢にむかってきて、その城に討ち入り、これを攻めて勝つでしょう。彼はまた彼らの神々、鋳像および金銀の貴重な器物を、エジプトに携え去り、そして数年の間、北の王を討つことを控えます。」ダニエル11:7,8

 この女(ベレニケ)の根(親)よりでた芽とはすなわちベレニケの兄弟トレミー・エウェルゲテスのことである。彼はその父トレミー・フィラデルフォスに継いでエジプトの王になるやいなや、間もなくその姉妹ベレニケ横死に復讐するために大軍を起こし、北の王すなわちセレウクス・カリニカスがその母ラオデキと共に統治していたシリヤを襲撃した。そしてトレミー・エウェルゲスは北の王を破り、シリヤ、キリキヤ、ユフラテ川の上流および、ほとんどアジアの全部を征服した。そしてたまたま本国エジプトに内乱が起こったことを聞き、急に師を率いて帰国した。その時、戦利品としてエジプトに持ち帰った分捕り品は銀その他高価なもので造った器物4万タラント、金製の偶像2500個であったということである。その中のある物はかつてカンビセスがエジプトからペルシアに分捕った偶像もあった。元来、エジプト人偶像崇拝者であったから、王に長らく分捕られていた偶像を再び携えて帰った事を大いに感謝して、王にトレミーエウエルゲテスすなわち恩人トレミーという尊称を奉ったのである。
 監督ニュートン氏の説くところによれば、以上はゼローム氏が古代史より抜粋した記録であるとの事である。しかし同氏は同一の事件をより詳細に立証する幾多の歴史家があると言っている。
 アビヤン氏は、ラオデキがアンチオカスを殺して後にベレニケとその子を殺した事、またフィラデルフオスの子であるトレミー・エウエルゲテスがその虐殺に復讐をするためにシリヤを征服してラオデキを殺害し、バビロンまで攻め入ったと述べている。
 ボリビヤス氏は、トレミー・エウエルゲテスが姉妹ベレニケを虐殺した為に大いに怒り、大軍を率いてシリヤに進み、セレウキヤ市を占拠した。そしてその後幾年かエジプト軍の守備隊がそこに駐屯していたといっている。すなわち彼(トレミー)は北の王要塞内に入ったのである。
ポリナス氏は、トレミーが戦わずにターラス山よりインドまでの全ての国を統一したと言っているが、同氏は誤って子(エウエルゲテス)ではなく父(フィラデルフオス)が遠征したように書いている。
 またジヤスチン氏はもしトレミーが内乱のためにエジプトに帰国しなかったならば、セレウクスの全領土を占領したに相違ないと記している。
 このようにして南の王は北の王の領土に来て、預言者の宣言したように再び自分の国に帰った。そして彼は北の王よりも長く生存した。すなわちセレウクス・カリニカスは亡命中馬より転落して死んだが、トレミー・エウェルゲテスは彼よりも45年長命したのである。

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