「契約の祝福」

 「与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから。」(ルカ6:38)

 神は人間の手のわざを祝福される。それは彼らが、神の分を神にお返しするためである。神は、彼らに日光と雨とをお与えになる。神は草や木を繁茂させられる。神は、健康と財産を得る力をお与えになる。すべての祝福は、神の恵み深い手から来る。そして神は、男も女も、十分の一と献げ物、すなわち感謝の献げ物、心からの献げ物、また罪祭などによって神の分をお返しして、彼らの感謝を表すことを望まれるのである。……彼らは、世界のあらゆる場所における神の働きを推進するために、私心のない関心を示さなければならない。(国と指導者下巻309)
 世に警告を与える大いなる働きにおいて、心に真理を持ち、真理によって清められている者が、彼らに与えられた役割を果たすのである。彼らは什一と捧げ物を捧げることにおいて忠実である。各教会員は、財産を過度に費やすことにおいて自分を否定する契約関係によって結ばれている。すでに確立した働きや、新しい地域に入る働きを推し進めるというわたしたちの役割を、家庭生活における経済的必要によって果たすことが出来なくなることがないようにしよう。……
 わたしは、世界中にいる兄弟姉妹に、什一を捧げる義務に目覚めるようにと懇願する。……あなたの創造主に対して忠実な会計をしなさい。……
 あなたのためにご自分の愛するひとり子を死に渡されたお方は、あなたと契約を結ばれた。このお方はあなたに祝福を与えられ、その代わりにこのお方は什一と捧げ物を持って来るように求められる。……神はご自分の人間の器に、彼らと結ばれた契約に忠実になるように求められる。「わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい」と主は言われる(マラキ3:10)。(管理者への勧告74,75)
 人に対する神の賜物は何と偉大であり、神はそれを与えようとどんなに望まれることであろうか!このお方は反逆的な人の子を救い、彼らがこのお方の目的を見てこのお方の愛を認めることができるようにと、決して超えることのできない寛大さで与えられた。あなたは、贈り物と捧げ物とによって、「ひとり子を賜わった」お方に対しては、もったいないというものは何もないということを示すであろうか。(同上19)

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