84「黒い馬」

 「また、第三の封印を解いた時、第三の生き物が『きたれ』と言うのを、わたしは聞いた。そこで見ていると、見よ、黒い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、はかりを手に持っていた。すると、わたしは四つの生き物の間から出て来ると思われる声が、こう言うのを聞いた、『小麦一ますは一デナリ。大麦三ますも一デナリ。オリブ油とぶどう酒とを、そこなうな。』」黙示録6:5,6

 赤馬より黒馬へ腐敗の度がどれほど急激に進んだのかを見よ。なおこれを第一の馬と比較するのなら、全く雲泥の差である。黒は白とは全く反対である。この象徴は教会が道徳的に全く腐敗し、一大暗黒を呈する時代をさすものである。もちろんこのような状態はすでに第二の封印時代にその端を発していたのであるが、コンスタンチンの治世より西暦538年法王権の樹立にいたるまでの時期をもって、教会内に最もはなはだしい誤謬と、最も著しい迷信の起こった時代と見るのが正しいと思う。このコンスタンチン直後の時代について史家モーセイムはつぎのように言っている。
 「この時代に入るや、死んだ聖徒の崇拝が著しく流行し、またいわゆる献灯めいたものによって死後の霊魂を清めるというような荒唐無稽な説がもてはやされて、広く行われるにいたった。その他僧侶の童貞、遺物崇拝も盛んにおこなわれて、時の経過と共にキリスト教的信仰はほとんど滅びてその光を失い、あわれむべきまでにその本質は腐敗していった。とほうもない様々な迷信が次第に真の敬神の位置を脅かすようになった。この種の従来みられなかった忌むべき珍奇なことがひっきりなしに現れた。そして新奇な説や多神教の儀式を模倣してこれをキリスト教の礼拝に混合しようとの無謀きわまる要望を迎合するように急ぎ、一般人の世俗的な金ピカ的宗教を喜ぶ愚劣な傾向などが全てキリスト教を失墜させ、これに代わって迷信を樹立する事に貢献したのである。したがって聖地巡礼、殉教者の墓参りがしばしば行われ、これによって特殊の功徳にあずかり、かつ救いの希望を獲得するのに必要な条件であるかのようにみなした。このように、一度迷信をその赴くままにまかせるやいなや、さまざまな愚劣極まる儀式や荒唐無稽の説が日ごとに増加する一方であった。はなはだしいものでは、パレスチナあるいはその他のいわゆる聖地から持ち帰った土塊が悪霊除け霊験顕著なるものとして、いたるところで途方もない高値で売買されたのであった。多神教がその神をなだめる為にしたいろいろな祈祷や行列めいた事が、今ではキリスト教の礼拝に取り入れられ、いたるところではなはだしく盛んに行われた。またかつては異教の神殿などで、その祭神となっている神々や英雄等の像の前で執り行われていた清め事が今ではキリスト教会に持ち込まれて、あるいは聖徒の像を拝し、あるいは一種の形式による祈祷をもって聖別されたいわゆる聖水をつかった儀式が行われた。すなわちかつては暗黒の多神教主義の下で執り行われたこの種の御利益事は、後には福音の名目の下に、否、福音を遮る迷雲の下に取り入れられて尊ばれるにいたったのである。もちろん公には偶像は安置されてはいなかったが、キリスト初臨前の多神教の人々が陥っていた偶像礼拝をそっくりそのまま真似して殉教者礼拝の名目下に執り行った事は、途方もない奇怪事ではあるが、同時に疑い得ない事実でもあった。・・・続く


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