118セレウクス・カリニカスの二子

 「そのころ、この女の根から、一つの芽が起って彼に代り、北の王の軍勢にむかってきて、その城に討ち入り、これを攻めて勝つでしょう。それゆえ、主なる神はこう言われる、町の中にあなたがたが置く殺された者は肉である。この町はなべである。しかし、あなたがたはその中から取り出される。」ダニエル11:7
 
 さて、セレウクス・カリニカスにはセレウクス・セラウナスとアンチオカス・マグナスの二子がいた。この兄弟二人は共に父と国との仇を報いようと大いに努力した。初めに兄のセラウナスが先ず父の位を継ぎ、大軍を起こして父の領土を回復しよと画策したが、生来憶病で王者の技量はなく、軍隊を指揮する能力を持たなかったのみならず、軍資金も欠乏したため、ついに在位わずか3年を出ず、部下の2将軍に毒殺されてしまった。ここにおいてアンチオカス・マグナス兄に代わって王位についたが、彼は兄よりもはるかに優れた人物であったためによく軍隊を統率し、セレキヤおよびシリヤを回復し、あるいは条約を締結し、あるいは敵軍を破って、大いに国勢を挽回した。一時エジプトと休戦の約束を結んだが、その実互いに戦備に汲々と励んでいた。その後アンチオカス・マグナスは再び交戦してエジプトの将軍ニコラウスを破り、これに勢いを得てついに進んでエジプト本国を襲おうと企てた。

 「その子らはまた憤激して、あまたの大軍を集め、進んで行って、みなぎりあふれ、通り過ぎるが、また行って、その城にまで攻め寄せるでしょう」とはこのアンチオカス・マグナスをさしたものである。


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