「キリストの血によって批准される」

 「だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。」(コリント第一11:26)

 過越しの祭りの代わりに聖餐式を制定するにあたり、キリストは人に対する大いなる犠牲の記念を教会に残された。このお方は「わたしを記念するため、このように行いなさい」と言われた。これは二つの経済と二つの大いなる祭りの変わり目であった。一方は永遠に終結し、このお方が制定された他方は代わりとなり、このお方の死の記念として各時代を通じて続くのであった。……
 キリストはご自分の最後の行いにおいて、弟子たちとパンとぶどう酒を分かち合うことによって、彼らの贖い主として、新しい契約によって約束された。それには信仰によってキリストを受け入れるすべての者に、この世においてまた将来の不死の生涯において、天が与えることのできるすべての祝福が与えられると記され、証印された。この契約の行為は、キリストご自身の血によって批准されるのであり、古い犠牲の捧げ物の任務はこのキリストの血をご自分の選民の思いに留めるためのものであった。キリストは、ご自分を信じ受け入れるすべての者の罪の許しのためにご自分の命を与えられた犠牲をわたしたちの記憶に思い起こさせるために、この晩餐が度々祝われるようにと意図された。(伝道273-276)
 救い主が死なれたことによって暗黒の勢力は勝利したように見え、彼らはその勝利をよろこんだ。しかしイエスは、割れたヨセフの墓から勝利者としてあらわれ……〔た〕。(各時代の希望上巻193)
 イエスは、ご自分の犠牲が天父によって受け入れられたとの確証が与えられるまではご自分の民から尊敬を受けようとされなかった。イエスは天の宮廷へのぼり、その血によってすべての人が永遠の生命を得られるように、イエスが人類のために払われたあがないは充分であったとの保証を神ご自身から聞かれた。天父はキリストとの間の契約、すなわち悔い改めて従う者たちを受け入れ、み子を愛されるように、彼らを愛されるという契約を批准された。キリストはそのみわざを完結して、「わたしは人を精金よりも、オフルのこがねよりも少なくする。(英訳・とうといものとする)」との誓いを果たされるのであった(イザヤ13:12)(同下巻324)


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