「仲保者であられるキリスト」

  「ところが、キリストは、ほんとうのものの模型にすぎない、手で造った聖所にはいらないで、上なる天にはいり、今やわたしたちのために神のみまえに出て下さったのである。」(ヘブル9:24)

 アダムとエバの罪は、神と人との間に恐ろしい別離を生じさせた。そして、キリストが堕落した人と神の間に介入され、人に言われた。「あなたはまだ、御父のみもとに行くことはできる。神と人、人と神が和解するための計画が考案された。仲保者を通して、あなたは神に近づくことができる。」そして今、キリストはあなたのために仲保するために立っておられる。このお方は、あなたのために嘆願してくださる大いなる大祭司である。そして、あなたはイエス・キリストを通して御父のみもとに行き、あなたの申し立てをするのである。このようにして、あなたは神に近づくことができるのである。(教会への証2巻591)
 キリスト・イエスは、世の罪のための犠牲を絶えず捧げて、祭壇の前に立っている方として表されている。このお方は、人ではなく神が建てられた真の幕屋で仕えておられる。型としての影であるユダヤ人の幕屋は、もはやなんの効力もない。日毎のまた年毎の型としての贖いはもはやされないが、仲保者による贖いの犠牲は、絶え間なく犯される罪のゆえに不可欠なものである。神の御前で小羊がほふられたように、イエスは、ご自分が流された血を捧げて務めを執り行っておられる。……
 礼拝、祈り、賛美、罪の悔い改めの告白は、真の信仰者たちから薫香のように天の聖所へと昇っていく。しかし、人間の汚れた通路を通っていくそれらは、あまりにも汚れているので、血によって清められない限り、神にとって決して価値あるものとはなりえない。……地上の聖所からの香は、キリストの血のしたたりで清められなくてはならなかった。このお方は、世俗的腐敗のしみ一つないご自身の功績の入った香炉を御父の前に掲げられる。このお方はその香炉の中にご自分の民の祈り、賛美、そして罪の告白を集めて、それらとご自身の汚れない義を一緒になさる。キリストの贖罪の功績で芳香を添えられたそれらの香は、完全にすべて受け入れられるものとなって、神の御前に昇っていくのである。……
 ああ、従順と忍耐、賛美と感謝のすべてが、キリストの義という燃える火の上に置かれねばならないということを、誰もがみな理解することができるように。(SDAバイブル・コメンタリー6巻1077,1078)

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