「契約と安息日」

 「ゆえに、イスラエルの人々は安息日を覚え、永遠の契約として、代々安息日を守らなければならない。これは永遠にわたしとイスラエルの人々との間のしるしである。」(出エジプト記31:16,17)

 主は、ご自分の民をエジプトからイスラエルに救出された時、彼らにご自分の律法を委ねられ、彼らは安息日遵守によって、偶像礼拝者から区別されることを教えられた。……
 安息日は、イスラエル人がエジプトから出て地上のカナンに入った時に彼らを区別したしるしであったように、現在においても世から出て天の休みに入る神の民を区別するしるしである。安息日は神と神の民の間に存在する関係のしるしであり、彼らがこのお方の律法を尊ぶというしるしである。それは神の忠実な臣民と違反者を区別する。……創造主としての神のしるしとして世に与えられた安息日は、また清めるお方としてのしるしでもある。すべてのものを創造した力は、魂をこのお方のみ形に再創造する力である。安息日を清く守る者にとって、それは聖化のしるしである。真の聖化は神との調和であり、品性においてこのお方と一つになることである。それは、このお方の品性の写しである原則に服従することによって与えられる。そして、安息日は従順のしるしである。心から四条の戒めに従うものは、律法全体に従うのである。彼は従順を通して清められる。
 イスラエルに対してと同じく、わたしたちにとっても安息日は「永遠の契約として」与えられている。このお方の聖なる日を尊ぶ者たちにとって、安息日は神が彼らをご自分の選民として認められるというしるしである。それは、神が彼らにご自分の契約を成就されるという約束である。神の統治のしるしを受け入れるすべての魂は、自分自身を神の永遠の契約の下に置くのである。従順という黄金の鎖に自分をつなぐ者にとって、その鎖の一つ一つの輪は約束である。
 すべての十の戒めの中で、第四条だけが偉大な律法制定者、天と地の創造主の印を含んでいる。この戒めに従う者は、このお方の御名を身に付けるのであり、それに伴うすべての祝福は彼らのものである。(教会への証6巻349,350)
 安息日は、一つもその意味を失っていない。それはいまだに神と神の民の間のしるしであり、永遠にしるしであり続けるのである。(教会への証9巻18)

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