「受け入れられる唯一の身代金」

 「神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。彼は、すべての人のあがないとしてご自身をささげられた……。」(テモテ第一2:5,6)

 キリストを通して、人のために和解と同様に回復も備えられている。罪によってできた深淵には、カルバリーの十字架によって橋がかけられた。イエスは十分で完全な身代金をお払いになり、罪人はその徳によって許され、律法の義は保たれた。キリストが贖いの犠牲であると信じるすべてのものは、行って彼らの罪の許しを受けることができる。キリストの功績を通して、神と人との間の交信が開かれた。神はわたしをご自分の子として受け入れることができ、わたしはこのお方に求めわたしの愛する父としてこのお方を喜ぶことができる。わたしたちは、天への望みをキリストにのみ集中させなければならない。なぜならこのお方はわたしたちの身代わりであり保証人であられるからである。……
 人がその力によって為すことのできる最善の努力は、彼が違反した清く正しい律法に見合う価値がないのである。しかしキリストへの信仰を通して、彼は神の御子の義が十分に足るものとして主張することができるのである。キリストは、ご自分の人間の性質によって律法の要求を満たされた。このお方はご自分を信じるものが一人も滅びることがないように、罪人のために律法の呪いを負われ、人のために贖いをなされた。……真の信仰はキリストの義を自分のものとし、罪人がキリストと共に勝利者とされる。それは罪人が神の性質にあずかる者とされ、それによって神性と人性が結合するからである。
 律法を守る自分の働きによって天に到達しようとしている者は、不可能な事を試みているのである。人は服従なしに救われることはないが、彼の働きは彼自身のものであってはならない。キリストが彼のうちに働きかけて、その願いを起こさせ、かつ実現に至らせなければならない。……キリストなしで人がすることのできるすべては利己心と罪で汚れている。しかし、信仰を通してなされたものは神に受け入れられるのである。わたしたちがキリストの功績を通して天を得ようと求める時、魂は前進する。信仰の創始者であり完成者であられるイエスを見ながら、わたしたちは力から力へ、勝利から勝利へ進むことができる。なぜならキリストを通して、神の恵みがわたしたちの完全な救いを成し遂げたからである。(セレクテッド・メッセージ1巻363,364)
 わたしたちは堕落した人間を贖うために払われた尊い身代金の価値を評価することはできない。その代わりに最善な心と聖なる愛情が、そのような驚くべき愛に捧げられるべきである。(教会への証4巻119)

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