「どんなに大きな愛かよく考えて見なさい」

  「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。」(ヨハネ第一3:1)

 キリストのうちにあらわされ、人類の上にあふれ出た天からの愛の流れは、天の父のみ心から出たものであります。……神は、恵みと真理に満ちたもうひとり子を、栄光に輝くみ国より罪にそこなわれ死とのろいに暗くとざされたこの世にくだされたのであります。神は、イエスが愛のふところを離れ、天使たちの賛美の声をあとにして、苦しみと恥、無礼、屈辱、憎しみ、はては死をさえ受けることをおゆるしになりました。……罪の重荷、罪の恐ろしさ、神から遮断されることなどが神の子の心を砕いたのでありました。……
 神はみ子と共にお苦しみになりました。ゲッセマネの苦しみ、カルバリーの死を通し、限りない愛をもちたもう神は私どものあがないの価をお払いになったのであります。……
 堕落した人類のためにキリストが払いたもうた限りない犠牲ほど、失われた人類に対する神の愛をあらわすことのできるものはありません。……私どものあがないのために払われた価、私どものためにそのひとり子に死をさえおゆるしになった天の神の測り知れない犠牲を考えるとき、キリストによって私どもは非常に高潔な状態に到達することができるという観念をおこさずにはおられません。霊感に動かされた使徒ヨハネは、滅びゆく人類への天の父の愛の高さ、深さ、広さをながめて、心はただありがたさと敬けんの念でいっぱいになり、その愛の偉大さ、優しさを適当に表現する言葉を見いだすことができないで、……〔それを見上げるようにと〕世界に呼びかけています。……人はなんと尊い価値をもっていることでしょう。罪を犯して人の子らは悪魔のどれいとなりましたが、キリストのあがないの犠牲を信ずることによって、アダムの子らはまた神の子となることができるのであります。キリストは人の性情をおとりになって人類を引き上げてくださいました。罪に落ちた人類は、キリストにつながってはじめて「神の子」という、その名にふさわしい尊い者となれるのであります。
 このような愛に比べうるものはなにもありません。天の王子となるというのであります。なんと尊いみ約束でしょう。これは深い瞑想に価する主題であります。神を愛さなかった人類へのたぐいもない神の愛であります。(キリストへの道7-12)

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