139「アントニーとクレオパトラ」


 アントニーはサモスにおいて大艦隊を組織した。すなわち数艘の甲板と舳先に櫓(やぐら)を設けた500そうの大艦隊が満艦飾を施して堂々と整列していたが、これらの戦艦には歩兵20万と騎兵1万2千を乗せていた。リビヤ、キリキヤ、カパドキヤ、パプラゴニヤ、コマゲナ、トラキヤの諸国より国王自身出陣参加し、ポントス、ユダヤ、ルカオニヤ、ガラテヤ、メデヤよりは軍隊を派遣した。この大艦隊が帆をあげて進軍する様は未だかつてない壮観を呈した。殊に異彩を放っていたのはクレオパトラの乗艦であり、装飾美をつくしてあたかも波上の黄金殿のように楽を奏しつつ航行した。アントニーもまたこれに劣らない華麗な船に乗って舳艫相啣んで進行した。クレオパトラはこの光景に酔い愚かにもローマの陥落が近づいたと考えたのであった。
 エジプト軍の華美に対比すればオーガスタス・シーザーの率いるローマ軍は到底これに拮抗することは出来なかった。しかし戦闘力においてははるかに優勢であった。またオーガスタスの艦隊の数はアントニーの艦隊の半分に過ぎず、歩兵も8万であったが、いずれも選り抜きの精鋭ばかりであり軍隊には経験のある水兵のみが乗り組んでいた。これに反してアントニーの船卒は狩り集められたいわゆる烏合の衆であり、全く戦闘上の知識はなく、いざ鎌倉という場合には何の役にも立たぬ者が多かった。これらの準備のため冬季に入ったのでシーザーはバランドシアムに、アントニーはコルキラに翌年まで駐屯した。
 気候がよくなると同時に両軍同時に海陸両方面に活動を開始した。そしてついに双方ともに艦隊はエビラスのアムブラキヤ湾に航行し、陸軍は海岸に相対峙して陣を張った。アントニーの部下の宿泊等は無経験な水兵を用いて海戦を開くように冒険をせず、クレオパトラをエジプトに送りかえして直ちにトラキヤあるいはマケドニヤに急行させ、経験ある軍人によって陸軍を組織してのち開戦する事をアントニーに勧めた。そしてアントニーはあくまでもクレオパトラに迷っていたので、「神は殺さんと欲する者をして先ず狂せしむ」というローマのことわざの実物教訓の材料となり、クレオパトラの歓心を買う事をただひたすらつとめた。またクレオパトラはただ外観のみに頼り、味方の海軍が必勝するものと決め込んで直ちに開戦することを勧めた。


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