「調和をもたらす」

 「わたしは彼らのためばかりではなく、彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも、お願いいたします。父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。」(ヨハネ17:20,21)

 聖霊の降下の後に弟子たちは、よみがえられた救い主、彼らの一つの願いである魂の救いを宣べ伝えるために出て行った。彼らは聖徒たちとの交わりの喜びを楽しんだ。彼らは優しく、思いやり深く、自己否定的で、真理のためにはどのような犠牲も惜しまなかった。彼らは互いの日毎の交わりにおいて、キリストが示すように彼らに命じられた愛を示した。……
 異なった性質を持った人々の間に存在していた調和と一致は、神が罪人を救うためにご自分の御子を送られたということを証明する最も力強い証拠であった。この証言を担うことはわたしたちの特権である。しかし、そうするためには、わたしたちは自分自身をキリストの指令のもとに置かなければならない。わたしたちの品性は、キリストの品性と調和して形づくられ、わたしたちの意志はこのお方の御心に屈服しなければならない。(教会への証8巻241-243)
 わたしたちは同じ信仰を持った者であり、一つの家族の一員であり、同じ天父の子供であり、同じ不死の祝福された望みを持った者である。わたしたちを一つに結びつける絆は密接で優しいものでなければならない。世の人々は、わたしたちの信仰が心に清める感化を及ぼしているかどうか見ている。彼らは、わたしたちの生活にあるすべての欠点とわたしたちの行動におけるすべての矛盾をすばやく見抜くのである。……
 ささいな相違に重点を置くことは、クリスチャンの交わりを破壊する行動にいたらせるのである。そのようにして敵がわたしたちより有利になることを許してはいけない。神と互いにさらに近づこう。……救い主の心は、高くて深い神の目的を果たすご自分に従う者たちに注がれている。彼らは世界中に散らばっているけれども、このお方にあって一つになるべきである。……キリストの祈りが十分に信じられるようになる時、……わたしたちの間で行動の一致が見られるようになるであろう。兄弟はキリストの愛という黄金の絆で結ばれる。神の御霊だけがこの一致をもたらすことができる。ご自分を清められたお方だけが、ご自分の弟子たちを清めることがおできになる。このお方と一つになることによって、彼らは最も聖なる信仰の内に互いに一つになることができるのである。(同上242,243)

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