「ペンテコステの力」

 使徒たちは主イエスの復活について、非常に力強くあかしをした。そして大きなめぐみが、彼ら一同に注がれた。」(使徒行伝4:33)

 ペンテコステの当日、聖霊が注がれたその結果はどうであったろうか。復活された救い主についての喜ばしい知らせは、人の住むところにはどこにでも伝えられた。弟子たちがあがないの恵みについての使命を伝えると、人々の心はこの使命の力に従った。教会は四方から集まってくる改心者を見守った。信仰を棄てた人々ももう一度悔い改めた。罪人たちは、高価な真珠を求めて信者たちに加わった。福音に最も激しく反対していた人々もその擁護者になった。……どのクリスチャンもみな、お互いのうちに神の愛と慈善心があらわれているのを見た。ただ一つの関心が支配し、一つの対象を求める熱意が他のすべてをのみこんだ。信徒の望みはキリストのご品性に似たものとなることであり、神の国を発展させるために働くことであった。
 「使徒たちは主イエスの復活について、非常に力強くあかしをした……」(使徒行伝4:33)。彼らの働きによってすぐれた人々が教会に加えられた。これらの人々は真理のことばを受け入れて、自分たちの心によろこびと平安を満たしてくれた望みを、他人に分け与える働きに生涯をささげた。彼らはどんな脅迫によっても、拘束されたり脅かされたりすることはなかった。主は彼らによってお語りになり、彼らの行く先々で、貧しい者たちは福音が自分たちに語られるのを聞いた。そして、神の恵みの奇跡が起こった。人が聖霊の支配に身をゆだねる時、神はこのように大いなる働きをなさることができるのである。(患難から栄光へ上巻44,45)
 聖霊の約束は、ほんとうに最初の弟子たちのものであったように、今日のわたしたちのためのものでもある。神は、ペンテコステの日に、救いの言葉を聞いた人々にお授けになった天来の力を今日の男女にも授けてくださる。まさにこの瞬間においても、聖霊とその恵みは、それを必要とし、神のみ言葉を受け入れるすべての者のものである。……
 神に対する熱心が、弟子たちが力強く真理を証するように動かした。この熱心が贖いの愛と十字架につけられたキリストの物語を伝えるための決心を持ってわたしたちの心に火をつけるべきではないだろうか。今日、熱心でたゆまない祈りの応えとして神の御霊が下り、奉仕のための力で人々を満たすべきではないだろうか。(教会への証8巻20-22)

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