109「白衣の一団」


 「長老たちのひとりが、わたしにむかって言った、「この白い衣を身にまとっている人々は、だれか。また、どこからきたのか」。わたしは彼に答えた、「わたしの主よ、それはあなたがご存じです」。すると、彼はわたしに言った、「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。それだから彼らは、神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」。黙示録7:14-17
 長老の一人がヨハネに向かい「この白い衣を身にまとっている人々は、だれか。また、どこからきたのか」とたずねたのに対し、ヨハネの前にいる大群衆をさしたものであるとすれば、彼のこの答にははなはだしい矛盾があるように感じられる。すでにヨハネは、彼らはあらゆる国民、部族、民族、国語の中より贖われた民であると言っているほどであり、彼等がどこに来たのか、また誰なのかを知っていたのであるから、この場合、彼らは地上の各国民から贖われた者であるからと答えることができたはずである。しかしもしそれが、この大群衆中に何等か特別の印、もしくは地位によって区別づけられている一団の者があって、それについて言われたものとすれば、彼等がいかなる人であり、いかにしてこのような特殊性を帯びるにいたったのかはそうたやすく察知することができるわけでなく、従って彼等に関しこのような質問も適切、妥当である。であるからここに長老の一人がこのような質問を発したのには、そこに特殊の一団のある事に注意をむけるためのものであると理解するのが当然である。そしてこのような特別な暗示によって紹介された一団は、黙示録第7章の初めに現れているところの14万4千人であると推察することはきわめて自然の順序といわざるを得ないのである。事実ヨハネは、彼らが終末時代の患難の只中にあって生ける神の印を受けつつある際、肉体を備えた彼等を見たが、今、現に贖われた者の大群衆中に加わり、立っているのを見ると、そのあまりにもはなはだしい変わり方と、あまりにも異なった容貌のために、これがかつて地上において印されつつあるのを見た、かの特殊の一団であるとは彼には認められなかったのである。なお以下附記する特徴は、特に彼等に適応すべきもののように思われるのである。


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