110「購われた14万4千人の特徴」


1.「大きな患難をとおってきた人たち」―およそクリスチャンである者は「多くの患難を経て神の国に到るべき」ものであるのは言うまでもないが、この14万4千人においてはことにしかりである。彼らは国が始まってから、その時にいたるまで、かつてなかったほどの悩みを経験し、(ダニエル12:1参照)ヤコブの患難の時の心的苦悩を体験するのである。(エレミヤ30:4−7参照)もちろん彼らは救われるが、古今未曾有の大患難時代を通過するのである。
2.「白い衣」―彼等は小羊の血によってその衣を洗い、これを白くした者であるが、この衣を白くせよという警告は最終の民にきわめて強い言葉をもって証されている事である。(黙示録3:5,18参照)彼らは救い主キリストの注がれた血の功績のみが彼等を義とする唯一の本源であることを固く信じていたのである。ここに記されている彼等がその衣を小羊の血によって洗い、白くしたとの言葉のうちにはじつに特別な意味が含まれているのである。
3.「初めの実」―15節には、彼等が神の国において占める栄誉ある位置といかに神との緊密な関係に置かれるかを記述している。またあるところに彼等の事を「彼らは、神と小羊とにささげられる初穂」ともいっている。(黙示録14:4参照)
4.「もはや飢えることがなく、かわくこともない」―16節に「もはや飢えることがなく、かわくこともない」とあるが、これは彼らがかつて飢渇に苦しんだことを示すものである。はたしてそうであるとすれば、それはどんな事を指したものであろうか。もちろんなんらかの特殊経験を意味するものであることは疑うべきでないが、多分それは患難の時、特に最後の災いの時に味わった苦痛を指すものであろう。なぜなら、この最後の災いの時には、義人の飲食物はわずかにパンと水のみにかぎられるのである。もちろんこれのみによっても生命を支える点では「そのパンは与えられ、その水は絶えることがない」(イザヤ33:16)。果実および蔬菜類はことごとく枯れ、(ヨエルⅠ:18、20)河水は全く血と化し(黙16:4-9)地上の事物に対する彼等の関係は極度に制限されるのであるから、このような時期を経由する聖徒はしばしば激烈な飢渇にも悩まなければならないのである。しかしながら一度神の国に入るや彼らは「もはや飢えることなく、かわくこともなくなるのである。預言者はなおこの一団に関して次のように語っている。「太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない」と。思えばこの14万4千人の人々は太陽が「火で人々を焼くことを許された」時代に生存する者である。(黙16:8,9)もちろんこのような災いに遭遇する者は悪者であり、聖徒らはこれより守られる者ではあるが、その激しい熱気による不快感を覚えぬほど彼等の神経が遅鈍になるものとは考えられない。けれども一たび天のカナンの領域に足を踏み入れるや、彼らは直ちに、日も熱気も彼等を損なわないとの神の保証の確かさを知り得るのである。
5.「小羊は彼らの牧者となって・・・」この群の、これと同じ時に関し、今一つの証言がある。「小羊の行く所へは、どこへでもついて行く」(黙示録14:4)。両者共に彼等とその贖い主との間に許される交わりがいかに親密なものかを描写しているのである。
詩篇記者はこの同一の約束について美しい句を残している。「あなたの家の豊かなのによって飽き足りる。あなたはその楽しみの川の水を彼らに飲ませられる」(詩篇36:8)。預言者イザヤもまた次のような言葉をもってこの14万4千の群に関する約束の一部を披歴している。すなわち「主はとこしえに死を滅ぼし、主なる神はすべての顔から涙をぬぐい、その民のはずかしめを全地の上から除かれる。これは主の語られたことである」(イザヤ25:8)。

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