「後の雨」

 「あなたがたは春の雨の時に、雨を主に請い求めよ。主はいなずまを造り、大雨を人々に賜い、野の青草をおのおのに賜わる。」(ゼカリヤ10:1)

 種まき時と、収穫のころに東方の国々に降る前の雨、後の雨という比喩を用いて、ヘブルの預言者たちは、神の教会に異常なほど豊かに霊的恵みがさずけられることを預言した。使徒の時代の聖霊の降下は前の雨、またはさきの雨の始まりであった。そして、その結果はすばらしかった。……地上の収穫が終わりに近くなると、教会を人の子イエスの来臨に備えるために、霊的な恵みが特別に与えられると約束されている。この聖霊の降下は後の雨にたとえられている。クリスチャンは「春の雨の時」にこの特別の力を収穫の主に求めなければならない。(患難から栄光へ上巻51)
 キリストはペンテコステの日に栄光を受けられたように、福音の最終の働きにおいて、民を大争闘の最後の戦いにおける最終の試みに立つことができるように準備される時、彼は再び栄光を受けられるであろう。(SDAバイブル・コメンタリー7巻983)
 多くの者が……他の人々に光を伝えるために、神の御霊に強いられてあちらこちらで奔走しているのが見られるであろう。神のみ言葉の真理は、彼らの骨の内で火のようになり、暗闇の中で座っている者たちを啓発させるという燃えるような願いを彼らに満たす。今、多くの者が、無学な者でさえも、主のみ言葉を宣べ伝える。子供たちは聖霊に促されて、出て行って天からのメッセージを宣言する。御霊の促しに従うすべての者の上に御霊が注がれ……彼らは、御霊の力によって真理を宣言するのである。(伝道700)
 しかし、今日、神の教会の信徒たちは、すべての霊的成長の源であられる神との強いつながりを持っていなければ、刈り入れの時に備えていることにならないであろう。彼らは絶えずランプの芯を切りそろえて、燃やしていなければ、いざというときに特別の恵みにあずかることができない。(患難から栄光へ上巻52)
 神の恵みが初めに必要であり、前進の一歩一歩において神の恵みだけが働きを完成させることができる。無関心な態度で止まっている時間はない。……わたしたちは、祈りと信仰によって絶えず御霊をさらに求めるべきである。(牧師への証508)

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