「わたしたちが求めるのを待っている」

 「求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。」(ヨハネ16:24)

 祈りは、罪との戦いとクリスチャン品性の発達における成功の手段として、天が定めたものである。信仰の祈りにこたえて与えられる神の力は、願い求めるすべてのことを嘆願者の心の中に成就する。われわれは、罪のゆるしを、聖霊を、キリストのような性質を、主の働きをなすための知恵と力を、また主が約束された賜物を、求めることができる。そして、それらは「与えられる」と約束されているのである。(患難から栄光へ下巻267)
 イエスはわたしたちの助け主である。わたしたちはこのお方の内にあって、またこのお方を通して勝利しなければならない。……キリストの恵みは、あなたがそれを要求するのを待っている。このお方は、あなたが求めさえすれば、あなたが必要とする時、恵みと力を与えられる。……キリストの宗教は、あらゆる汚れた情欲を束縛し、抑制し、家庭における毎日の生活における事柄においてさえ、活力を与え、自己訓練をし、勤勉になるように刺激し、わたしたちが倹約、機転、自己否定を学ぶようにさせ、つぶやくことなく欠乏でさえも耐えるように導くのである。心にあるキリストの精神は品性に表れるようになり、高貴な特質と力を発達させる。「わたしの恵みはあなたに対して十分である。」(コリント第二12:9)とキリストは言われる。(わたしたちの高い召し29)
 イエスとあなたの魂との交わりをつねに保つことができるよう全力を尽さねばなりません。……また、家族とともに祈らねばなりません。わけても、密室の祈りをおろそかにしてはなりません。これは、魂のいのちであるからであります。祈りをおろそかにしていながら、魂の健全を願うことはできません。家族の祈り、また、公の祈りだけでは不十分であります。人なきところに退いて、心を探りたもう神のみ前に心をすっかり開かねばなりません。密室の祈りは、祈りを聞きたもう神にのみ聞かれるべきで、好奇心にかられて人が聞いたりすべきものではありません。密室の祈りでは、心は周囲の影響を受けたり、また、興奮したりすることもありません。……穏やかでしかも単純な信仰によって、魂は神との交わりを保ち、神から光を受けて、悪魔との戦いに立ち得るために心は強められささえられるのであります。神は、私どもの力の櫓であります。
 密室で祈りましょう。毎日の仕事をするときにも、しばしば心を神に向けなければなりません。エノクはこのように神とともに歩んだのであります。黙祷は、恵みのみ座の前に尊いかおりのように上っていきます。こうして、神に心をゆだねた人に、悪魔は勝つことはできないのであります。(キリストへの道134-136)

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