「恵みは十分である」

 「主が言われた、『わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる』。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。」(コリント第二12:9)

 「たとい、自分では小さいと思っても、あなたはイスラエルの諸部族の長ではありませんか。」(サムエル記上15:17)ここでサムエルは、サウルがイスラエルの王座に任命された理由を指摘している。サウルは自分自身の能力についての謙虚な見解を持っており、教えを喜んで受けた。神の選びが彼に下ったとき、彼は知識と経験に欠けていて、多くの良い特質と共に、重大な品性の欠点を持っていた。……けれども、もし彼が謙虚なままで、絶えず神の知恵に導かれることを求めるなら……彼は自らの高い地位の義務を、成功と名誉を持って果たすことができたであろう。神の恵みの影響下で、あらゆる良い特質が力を得る一方で、悪い特性は同じくらい着実に力を失ったであろう。
 これは、主におのれを捧げるすべての人のために、主が助けてあげようと言われる御業である。……指導を受けるすべての人に、神は恵みと知恵を分け与えられる。……神は、彼らに性格上の欠点を明らかにし、神の助けを求めるすべての人に、誤りを正すための力をお与えになる。人の陥りやすい罪が何であろうと、勝利を得ようと奮闘する欲情がどれ程激しく、悪意に満ちていようとも、もしイスラエルの助け主の御名と力においてそれらを見張り、戦うならば、彼は征服することができる。神の子らは、罪に対して鋭敏な感覚を養うべきである。……小さな放縦、明確に述べられた神の要求からの小さな脱線といった危険に対して心を盲目にすることは、サタンが最も成功を収める計略の一つである。ある大きな罪に対しては、怖がってしり込みする多くの人たちが、小さな事柄における罪を、些細な結果のものとして考えるように導かれる。しかし、これらの小さな罪は、魂の内にある信心という生命を食いつくす。正道からそれて、別の道に足を踏み入れる者は、死に至る広い道へと向かっている。(SDAバイブル・コメンタリー2巻1016,1017)
 神がわたしたちを置かれた立場が何であろうと、わたしたちの責任または危険が何であろうと、主ご自身が、熱心に求める者に必要な恵みを分け与えると誓われたことを覚えるべきである。自分の置かれた立場を占めるには不適任であると感じながらも、神がお命じになる故にそれを受け入れ、神の力と知恵に頼る者は、力から力へと進むことだろう。(同上1017)

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