154「終わりの時」


 「また賢い者のうちのある者は、終りの時まで、自分を練り、清め、白くするために倒れるでしょう。終りはなお定まった時の来るまでこないからです。」ダニエル11:35

 多少妨げられたが、迫害の精神は中々撲滅されず、機会ある度毎に暴威をたくましくした。ことに英国においてはそうであった。英国の宗教界の形勢は主権者の宗教次第で、あるいはカトリックが跋扈したり、あるいは新教が勢力を得たり、常に動揺していた。かの残忍な女王メリーは新教徒の最も恐るべき敵であり、実に多数の者が彼女の無慈悲な迫害の犠牲になった。そしてこのような状態は、多少の差はあっても「終わりの時」まで継続するはずであった。
 であるから「終わりの時」に到るならばカトリックが持っていた異端者を懲戒する権力、すなわち多くの恐るべき迫害の原因でありまた少しの間防止されていた権力が取り去られてしまうわけである。換言すれば、カトリックの最上権が取り去られた時本節に記してある「終わりの時」が開始するのである。もしこの解釈が正当であるなら、「終わりの時」はすでに学んだように法王権がフランスによって転覆された時すなわち1798年に始まったのである。以来法王権は以前のような勢力を強くし得ないのである。であるからここに記された事が法王権が教会を圧迫した事をさしているのは明白である。

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