猶予期間が続いている間に

 「不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」(黙示録22:11)

 人が享受しているあらゆる良いことは、神の憐れみによって来ているのである。このお方は偉大で慈悲深い贈与者であられる。このお方の愛は、人のための豊かな供給の内にすべての者に対して表されている。このお方は、わたしたちが天上の宮廷のために品性を形成するための、猶予期間を与えられた。(教会への証6巻385)
 わたしたちは、キリストが間もなく来られるということを疑いなく信じている。これはわたしたちにとって物語ではない。それは現実である。……このお方が来られる時、このお方はわたしたちを罪から清めたり、わたしたちの品性にある欠点を消し去ったり、わたしたちの気質や性質の弱さを取り除いたりされるのではない。もしこの働きがわたしたちのためになされるとしたら、その時以前にすべて完成されていなければならない。主が来られる時、聖なる者は聖なるままである。自分たちの体と霊を聖潔と誉れの内に清く保った者たちは、その時、不死の最後の仕上げの一筆を受けるのである。しかし、不義な者、清められておらず汚れた者は永遠にそのままである。その時はもう、彼らの欠点を取り除き、聖なる品性を与える働きはなされないのである。精錬されるお方は、精錬の過程を続け、彼らの罪と堕落を取り除くために御座につかれることはない。これはすべて、猶予期間においてなされるべきである。わたしたちのためにこの働きが完成されなければならないのは今である。(教会への証2巻355)
 恩恵の期間の間は、神の恵みがすべての人々に与えられている。しかし、もし人々がその機会を自己満足のためにのがしてしまうならば、彼らは自分を永遠のいのちから切り離してしまうのである。その後にはもはや恩恵の期間は与えられないのである。自分の選択によって、彼らは自分たちと神との間に越えることのできない淵(ふち)をつくってしまうのである。(キリストの実物教訓235)
 多くの人々は、キリストの再臨の時に品性が変えられると思って自らをあざむいているが、キリストが現われたもうときには、心の改変は行なわれない。私たちの品性の欠点は、この地上で悔い改めなければならない。そしてキリストの恵みによって恩恵期の間にそれらに勝利しなければならない。この地上は、天の家族の一員となる準備をする所である。(アドベンチスト・ホーム357,358)
 猶予期間はほとんど終わっている。……準備しなさい!準備しなさい!昼の間働きなさい。夜が来る。すると誰も働けなくなる。(教会への証2巻401)

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