119第9章 七つのラッパ(続)

ローマ帝国の衰微

 我々は前章における七つのラッパ中最初の四つは、ローマ帝国の崩壊に与る諸事件を意味するものであることを学んだが、事実、多年にわたる暴虐、堕落はさしも無敵堅固のものと外観的に思惟させていた帝国を根底より揺り動かし、ついに収拾できない状態に陥れてしまった。また一方、キリスト教も一時はこれに新鋭気力を加えたかのような様を呈したが、事実においては決してそうではなく、生命よりもむしろ形式が迎えられ、そのために帝国は増々惰弱になってしまった。ラードナーはその著「ロジカル・アウトライン・オブ・ザ・ロマン・エンパイヤ」中に次のように証言している。
 ローマ帝国第1世紀初期にユダヤに発生萌芽するキリスト教は、あたかも交叉繁茂する葡萄の蔓のように、四方に広がって行った。しかしながら一たびこれに政策的教権精神がつながると、教会はローマの国土を腐敗、不和、病患に陥らすところの悪の実を結ぶにいたった。
 これが為にさしも久しきにわたり、大屋台を張っていたローマ政府も内部の社会的麻痺状態の亢進と外部からの蛮族の激しい圧迫にもはや耐えることができなくなってしまった。否、実のところ、すでに西ローマの崩壊に先立つ半世紀前より帝国の命脈は危機に瀕していたのである。
 北方から、さらに南方から北方へとローマに乱入する蛮族のために、今までかろうじて持ちこたえていた大屋台はついにひとたまりもなく瓦解してしまったのである。すなわち第5世紀の初頭においてはアラリックとその率いるゴス族(ゴート)、その他同系統の種族が約10年間も帝国内を荒らし、ついに第六世紀に到ってローマをやぶり、凱歌裡にローマ市に進入した。また「恐るべきゲンセリック」はヴァンダル軍を率いて先ず第一にローマ領アフリカを征し、次いでローマを襲って約半世紀の間、強奪、暴虐の限りをつくした。これのみではない。北東からは「神の鞭」なるアッチラが潮のごとくに来襲し、476年にゴス族オドアケル西ローマ帝国を廃してしまった。ここにいたり、かつては全世界の覇王であったローマも、今やきわめて力なき最後の皇帝が位よりのぞかれ、東ローマのみがかろうじて余喘を保つのみとなったのである。

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