「報い」

 「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。」(黙示録22:12)

 その御手の内に、その限りない恩恵によって、主は善行が報われることをお定めになった。わたしたちはキリストの功績を通してのみ受け入れられる。そしてわたしたちがなす慈悲の行い、愛の行為は、信仰の実であって、これらはわたしたちにとって祝福となる。なぜなら、人々はその仕業に応じて報いを受けるからである。わたしたちの善行を神に受け入れられるものとするのは、キリストの功績の香りであり、彼が報いを与えてくださる業を行えるようにしてくれるのは、恵みなのである。わたしたちの行為そのものに功績はない。……わたしたちは神に感謝される資格はない。わたしたちは自分の義務を行っただけであり、自分自身の罪深い性質の力では行い得なかったのである。(わたしたちの高い召し122)
 わたしたちは……キリストの光と恵みを、わたしたちのすべての働きに入れなければならない。わたしたちはキリストをつかみ、このお方の改変させる恵みがわたしたちに表れたことを知るまで、わたしたちはこのお方につかまっていなければならない。神のご品性を反映したいのなら、わたしたちはキリストの内に信仰を持たなければならない。……生活を改変させる神のみ言葉とキリストの力に対する信仰は、信者がこのお方のみ業を行うことができるようにするのである。(教会への証9巻279)
 キリストは、その僕たちに、「自分の財産」、つまり、神のために用いるべき何物かをお与えになる。キリストは、「それぞれ仕事を割り当てて」おられる。……天の住居の中に、わたしたちの場所が確実に用意されているのと同じように、わたしたちがこの地上で神のために働くべき場所が、定められているのである。……
 キリストはご自身の血と苦悩という代価をわたしたちのために支払われた。そして、わたしたちが、喜んで奉仕することを待っておられるのである。主は、わたしたちがどのように働き、またどのような精神で働くべきであるかの実例を示すために、この世界にこられた。また主は、どうすれば神の働きを前進させ、神のみ名の栄えになるかを、わたしたちが研究することを望んでおられる。(キリストの実物教訓301,305)
 聖霊の働きによって魂が清められるということは、キリストの性質を人間のなかに植えつけることである。福音を信じることは、生活の中にキリストが宿ること―すなわち、生きた活動的な原則が宿ることである。それは、品性によい行ないとなってあらわれるキリストの恵みである。(同上361)


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