164「ナポレオンのエジプト遠征」


 さて、1260年の終局を画した法王権の没落と、35節に示された「終わりの時」の開始はローマがフランスの大将バーシエーの手によって陥落した時すなわち1798年2月10日であった。同年3月5日ナポレオンは督政官よりエジプト遠征の命を受け、5月3日パリを出発し、同19日ツーロンより出征した。当時彼の率いる軍隊は戦艦500、陸兵4万、水兵1万であった。7月2日にはアレキサンドリヤを陥落し直ちに要塞を築いた。同月21日にはかの有名なピラミッドの激戦があった。その時マメルクは勇敢に奮闘したが、到底精鋭なフランス軍の敵ではなかった。ムラツト・ベーは大砲全部とらくだ400および300人の将卒を失った。これに反してフランス軍の損害はきわめて僅少であった。27日にナポレオンはエジプトの首府カイロに侵入した。しかし彼は全国を征服するために、粉砕された騎兵と共にエジプト南部に逃れていたムラツト・べーを追跡しようとしてナイル川の洪水のひくのを待った。このようにして「南の王」は僅かに抵抗するを得たのみであった。

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