「み約束の力」

 「怠ることがなく、信仰と忍耐とをもって約束のものを受け継ぐ人々に見習う者となるように、と願ってやまない。」(ヘブル6:12)

 「わたしたちは神のみ言葉に密接につながっていなければならない。わたしたちにはみ言葉の警告と励まし、戒めと約束が必要である。」(教会への証5巻198)
 「聖書は単に書かれたものとしてだけでなく、わたしたちに向かって語られた神のみ言葉として受けなければならない。病人がキリストのところにきたとき、キリストは、そのとき助けを求めた者だけをごらんになったのではなく、同じ要求同じ信仰をもってキリストに来る各時代の人々をもごらんになっている。中風の人に向かって「子よしっかりしなさい。あなたの罪は許されたのだ」と言われたときも、……イエスに助けを求めなければならない他の病人や罪に悩む人々に向かって語られたのであった。神のみ言葉の約束はみなそうである。それらの約束を通して神はわたしたちひとりひとりに向かって語られ、また、直接にみ声を聞いているかのように語っておられる。これらの約束によってキリストは恵みと力をわたしたちにお与えになる。それは「万国の民をいやす」木の葉である。これを受け入れ、自分のものとするとき、品性の力となり、霊感が与えられ、生命を支持する者となる。こういういやしの力を持った者は他にない。これ以外にどんな者も全身に活力を与え、勇気と信仰を授けることはできない。」(ミニストリー・オブ・ヒーリング92)
 「神は優しく強い愛を持って、ご自分の被造物を愛される。このお方は自然の法則を制定されたが、このお方の法則は独断的な強要ではない。すべての「してはならない」という命令は、自然界の法則であろうが道徳的律法であろうが、約束を含んでいる。それに従うならば、祝福がわたしたちの歩みに伴う。もしそれに従わないならば、結果は危険と不幸である。神の律法は、神の民をご自分にさらに近く引き寄せるように計画された。もし彼らが導かれるならば、このお方は彼らを悪から救い善に導かれるのである。このお方は彼らを強制なさることはない。」(教会への証5巻445)
 「わたしたちは信仰がなさすぎる。この民を神に対する信仰を持つように導くことができたら、どんなにいいだろう。信仰を働かすために、高揚した興奮状態になる必要はない。わたしたちが他人の言葉を信じるのと全く同じように、神の言葉を信じればよいのである。神が言われたことは、全くその通りなので、心を静めてその約束に頼ればよいのである。神はみ言葉のうちにわたしに話され、約束なさったすべてのことを実行してくださると言いなさい。不安になってはならない。神に信頼しなさい。神の言葉は真実である。天の父は信頼できるお方であると思って行動しなさい。」(セレクテッド・メッセージ1巻83,84)

http://www.sda1888.com/
聖書のお話ブログ BIBLE STORY BLOG
http://dailydevotion.jugem.jp/?eid=126



 ブログ村ランキングに参加しております。
もしよろしかったら、クリックお願いいたします。

 ↓↓↓  

にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
にほんブログ村