「謙遜な者に」

 「だから、あなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい。時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう。」(ペテロ第一5:6)

 「けんそんであるということは、何も知力に欠け、抱負もなく、おく病な気持ちで人生を送り、失敗することを恐れて責任を避けることではない。真のけんそんは、神の力に頼って神の目的を成就することである。
 神はみこころにかなう人びとを用いてお働きになる。神は大きな働きをするのに、最もいやしい器をお選びになる。それは、神の力が人間の弱さによってあらわされるためである。わたしたちは、標準をもっていて、それによって、一つの事を偉大であるといい、他のものを小さいと言うのである。しかし、神は、人間の定規でおはかりにならない。人間が大きいと思うことを、神も大きく思い、人間が小さいと思うことを、神も小さく思われるものと決めてはならない。」(キリストの実物教訓340)
 「自分の功績を誇ることは、すべて見当違いである。……報酬は、働きによるものではなくて、全く恵みによるものである。それはだれも誇る者がないためである。……
 自己に王座を占めさせることの中に、宗教はない。自分に栄光を帰すことを目当てにするものは、キリストのために力ある働きを行なわせる唯一のものである神の恵みに欠乏していることを見いだすことであろう。高慢と自己満足にふけると、必ず、働きはそこなわれるのである。……
 その私生活においてクリスチャンである者、日ごとの自己犠牲において、心の真実さと純潔において、ののしられても柔和なことにおいて、信仰と敬けんにおいて、小さいことに忠実なことにおいて、家庭生活において、キリストの品性を代表する者、このような人は、世界的に名高い宣教師や殉教者以上に、神の前には尊いのである。……
 学識があるとか、地位があるとか、または、人の数とか、才能の数とか、人間の意志の力とかに、成功の秘訣があるのではない。わたしたちは、自分の無力を感じて、キリストをめい想すべきである。そうするならば、すべての力の力であり、すべての思いの思いであるキリストの助けによって、喜んで従っていく人びとは、勝利から勝利へと進むのである。……単純な信仰と愛とをもって神のために働いた者のうける恵みの報酬は、実に祝福されたものである。」(同上379-383)

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