126「預言とトルコ」


 「第一のわざわいは、過ぎ去った。見よ、この後、なお二つのわざわいが来る。第六の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、一つの声が、神のみまえにある金の祭壇の四つの角から出て、ラッパを持っている第六の御使にこう呼びかけるのを、わたしは聞いた。『大ユウフラテ川のほとりにつながれている四人の御使を、解いてやれ』。すると、その時、その日、その月、その年に備えておかれた四人の御使が、人間の三分の一を殺すために、解き放たれた。」黙示録9:12―13
 「神のみまえにある金の祭壇の四つの角から出」る声があると記されている。これは神が人間の国々を支配される事実を現すものであり、「神のみまえにある祭壇」とは、神の民の祈祷が捧げられかつ記録されるべき香壇のことである。またこれらの「四人の御使」とは刑罰を執行する使いのことである。しかしこの刑罰はいわゆる天からくだったり、または何らかの超自然的事実によって現出するものではなく、人間の行動によって、背教堕落する国民を激しく鞭打つものであることに注意したいものである。したがって「ユフラテ」とは第六のラッパ時代に起こるわざわいの発源地方すなわちフイフイ教の四君主が駐屯するバグダット、アレッポ、イコニオム、ダマスカスを指すものであろう。フイフイ教勢力の中心は爾後ビザンチン地方、否コンスタンチン自体がこれを占めるところとなり、そのために東ローマは単なる記憶として留まるに過ぎなくなったのである。これを歴史に照らしてみる時、パラエオロギおよびギリシャの最後の皇帝なるコンスタンチン13世は、形勢いよいよ非にして到底トルコに抗しがたきを知り、サルタンアルムスの承認の下にその自主権を放棄し、トルコの権力化に服した事が明らかである。そしてこれは5カ月すなわち150年の預言期の終局にあたる紀元1449年のことであった。のちしばらくしてこのコンスタンチン13世は臣下の浅薄な献策を容れ、トルコの覊伴(束縛)から脱そうとしたが、かえってその事は1453年マホメット2世のコンスタンチノーブル占領をより確実なものとなす以外に何ら功を奏さなかったのである。
 「その時、その日、その月、その年」とはさきの五カ月と等しく預言的時期を示すもので、これを預言的算定法に従い一日を一年として計算すれば391年と15日となり、なおこれに先の五カ月すなわち150年を加えると541年と15日になる。これは二つの災害時間を示すものである。すなわちこの期間はオットマンの軍勢がニコメデヤに侵入した時、つまり紀元1299年7月27日に始まり、同1840年8月11日トルコが全く欧州諸列強の傀儡となって、独立権を失墜するのを見るに至る時期までをさすのである。

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