167「ナポレオンの敗北」


 「みなぎりあふれ、通り過ぎるでしょう。」と。我等は「南の王は・・・戦う」ことと、「北の王は、・・・つむじ風のように彼を攻め」るという預言の成就した驚くべき事件を学んだ。そして勝ち誇ったトルコ軍は勢いに乗じてフランスよりパレスチナの南方および全エジプトを奪回し、またトルコのアフリカ領にリビヤとエチオピヤとを加えた。
 トルコがフランスを敗り、エジプト、リビヤおよびエチオピヤを征服したことは、預言者ダニエルが「北の王」は侵略者に対して「戦車と騎兵と、多くの船をもって、つむじ風のように彼を攻め」るといった預言を文字通りに成就している。風およびつむじ風が預言において用いられている場合、それは戦争、争闘および流血を意味するのである。(ダニエル7:2、エレミヤ25:31-33、参照)ゆえにこの時トルコは敵軍に対して狂暴な突進を試みるばかりでなく、長期間にわたって惨憺極まる戦争をするはずであった。そしてトルコはかくのごとき戦争をした。すなわちトルコは自国の防備を厳にして、強敵に向かって猛襲を試みた。歴史の記すところによれば、それは随分ひどい激戦であったということであるが、この事は「つむじ風のように」との言葉に遺憾なく言い表されている。
 トルコはまた「戦車と騎兵」とをもって責めるはずであった。これについてアポット氏は、「ダマスコにおいてトルコ軍の集めた軍隊は三万におよび、中一万二千は騎兵であって、・・・突然つむじ風のような敵軍に猛進した」と言っている。またトルコは英露両国の連合艦隊に助けられたのであった。かく偶然にも歴史家は預言者と同じ言葉を用いているのである。
 そして、「北の王は、・・・つむじ風のように彼を攻め、・・・みなぎりあふれ、通り過ぎるでしょう」と預言されているように、トルコは大勝した。ナポレオンはこれまで常勝将軍であったから、この時も必ず勝利を得てトルコを征服し得るものと予期していたのである。彼はエジプトやイタリーおよびその他の国々と同じく、トルコもまた必ず蹂躙することができると考えていたのである。
 しかしながらトルコは敗れなかった。預言者は同国が勝利を得る事を預言したが、はたしてそれは成就した。当時フランスの敗北は全欧州人の驚愕したところで、ナポレオン自身にとっても不可解であった。この戦役についてフランスの歴史家は、「セント・ジャン・ダーカーはナポレオンをくいとめることの出来たシリヤにおける唯一の要塞について、もしここが陥落すればシリヤは仏軍の蹂躙に任すのみであった。・・・しかし土軍が頑強に防御した事は、今までも土軍の強硬な抵抗に慣れていたわが軍を少なからず驚かした。また包囲内に進撃したわが軍人の大部分はころされてしまった」と述べている。またランフレー氏はナポレオンのこの経験について次のように記している。
 「彼(ナポレオン)を初めて退却するに至った必死の包囲攻撃が長引いている間、しばしば彼は、この小さなジャン・グーカーのために自分の運命が定まるのであると人々に語ったという事である。その後も彼が過去の盛衰と彼の前に開かれた各種の機会とを追憶して、もしジャン・ダーカーが陥落していたならば、世界の形勢を変更して東方の皇帝となったであろうとしばしば繰り返した。そして彼の雄図(勇ましく大きなはかりごと)が虚しく終わったのは砂粒大のジャン・ダーカーのためであったといつも附言していた」と。
 しかしながらナポレオンとトルコとの戦争の勝敗を定めたものは単にジャン・ダーカーの敗北のみではなかった。神の摂理の強い御手がこれを支配しつつあったのである。もしナポレオンの雄図が成功したならば、「北の王」は終焉を告げたであろう。けれども「北の王」が終焉を告げる時は未だ来ていなかったのである。これはトルコの侵略者に対して、何故万時が意のままにならなかったかを釈明していると思う。そしてまた仏軍の奇怪な敗北の秘密をも解いているのである。そしてこれらの全ては預言の確かな成就に他ならないのである。

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