「クリスチャンの徽章」

 「わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、はるかに越えてかなえて下さることができるかたに。」(エペソ3:20)

 「主は、ご自分の民を通して、ご自分の恵みと力を示そうと待っておられる。しかしこのお方は、ご自分の奉仕に加わる者たちが、自分たちの思いを常にご自分に向けることを求められる。毎日、彼らは神のみ言葉の朗読と祈りのための時間を持つべきである。……個人的にわたしたちは、神と共に歩き語るべきである。……そうすることによってキリストの福音の聖なる尊い感化が、わたしたちの生涯に現れるのである。」(教会への証6巻253)
 「純粋な、真のクリスチャンの静かな、矛盾のない生活の中には言葉よりもさらに有力な雄弁がある。人物そのものがその話す言葉よりも、もっと力のあるものである。
 イエスのところにつかわされた役人は今までこのように語った人はないという報告をもって帰ってきた。しかしそれはイエスのように生活をした人がなかったからである。そのような生活をキリストが送っておられなかったならば、あのように語ることはできなかった。キリストの言葉は純潔で、きよく、愛と同情に満ち、徳行と真実にあふれた心から出たもので、人を信服させる力があった。
 他人に及ぼす影響を決定するのは自分の品性と体験である。キリストの恵みの力をほかの人に信じさせるためには自分の心と生活の中にあるその力を知っていなければならない。人を救うためにわたしたちが教える福音は自分の魂が救われた福音でなければならない。キリストを自分個人の救い主とし、生きた信仰を持つのでなければ、懐疑的な社会に感化を及ぼすことは不可能である。もし急流から罪びとを救い出そうと思えば自分の足をキリスト・イエスである岩の上に堅く立てていなければならない。
 クリスチャンの徽章は表面につけるしるしではなく、十字架や冠をつけたりすることでもない。それは神と人間との結合を示すものである。変えられた品性の中に表わされている神の恵みの力を見て、社会は神がそのみ子をあがない主としてつかわされたことを納得させられるのである。人の心をとりまく影響の中で無我の生活の感化ほど力のあるものはない。福音に対して好感をいだかせる最も強いあかしは、愛し愛されるクリスチャンである。」(ミニストリー・オブ・ヒーリング453,454)

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