「無敵」

 「主の祝福は人を富ませる、主はこれになんの悲しみをも加えない。」(箴言10:22)

 この苦悩のときに、ヤコブは天使を捕えて涙ながらに訴えたのである。すると、天使は、彼の信仰を試みるために、彼の罪を思い出させて、彼からのがれようとした。しかし、ヤコブは天使を行かせなかった。彼は、神があわれみ深いことを知っていたので、神のあわれみによりすがった。彼は、自分がすでに罪を悔い改めたことをさし示して、切に救いを願い求めた。ヤコブは、その生涯をふりかえってみると絶望するばかりであった。しかし彼は、天使を捕えてはなさず、苦悩の叫びをあげて真剣に願い求め、ついに聞かれたのである。
 神の民も、悪の勢力との最後の戦いにおいて、これと同じ経験をするのである。神は、神の救出力に対する彼らの信仰、忍耐、確信を試みられる。サタンは、彼らを絶望的である……と思わせ……ようとする。彼らは、自分の欠点を十分知っていて、その生涯をふりかえってみれば、絶望である。しかし、彼らは、神の大きなあわれみと自分たちの真心からの悔い改めを思い出す。そして、無力な罪人が悔い改めるときにキリストによって与えられる神の約束を懇願する。彼らの祈りが直ちに聞かれなくても、彼らの信仰はくじけない。彼らは、ヤコブが天使を捕えたように、神の力をしっかり握って、「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません」と心から言うのである。……
 しかし、ヤコブの生涯は、罪に陥っても真に悔い改めて神にたち帰る者を、神は見捨てられないことを証明している。ヤコブが、自分の力をふるって獲得できなかったものを得たのは、自己降伏と堅い信仰によってであった。こうして、神は、彼の熱望した祝福を与え得るものは神の能力と恵みだけであることを教えられた。最後の時代においてもこれと同様である。彼らは危険に当面し、絶望に陥るとき、ただ、贖罪の功績だけに頼らなければならない。われわれは自力では何もできない。全く無力で無価値なわれわれは、十字架につけられ復活された救い主の功績に頼らなければならない。そうするかぎり、だれひとり滅びることはない。(人類のあけぼの上巻219-221)

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