「救いの7000年史」 第3章 「大争闘の争点」


キリストが十字架で死なれたことによってサタンの欺瞞が暴露された。全宇宙の住民と天使たちはサタンの欺瞞の本質を知ったが、人類はそれを理解することができなかった。
またサタンは違う欺瞞で人類を欺こうとした。これもやはり律法に関するものであったが、神の律法には欠陥があるという以前の主張だけではなく、神の律法の性質である憐れみが義を破壊したという欺瞞であった。
この欺瞞はキリストが十字架で死なれることによって、人類は律法の義務から解放され、欠陥がある律法のある項目は取り除かれ、変更されたというものである。十字架は義を破壊したのではなくより完全なものにしたのだが、義を確立したこの十字架をサタンは反対に利用したのである。
「キリストは、ご自分の一生と死によって、神の義はその憐れみを滅ぼすものではなく、罪がゆるされ、律法が正しく完全に従うことのできるものであることを証明された。サタンの非難の誤りは明らかにされた。神はご自分の愛についてまちがうことのない証拠を人類にお与えになった。
するとこんどは別な欺瞞が持ち出されることになった。サタンは、憐れみが義を滅ぼし、キリストの死が天父の律法を廃止したと宣言した。しかしもし律法を変えたり、廃止したりすることが可能であったら、キリストは死なれる必要がなかったのである。」―各時代の希望下巻p.289
「キリストが律法を確立された手段そのものを、サタンは律法を廃するものであると言った。この点について、キリストとサタンとの間の大争闘における最後の戦いが起こるのである。
神ご自身のみ声によって語られた律法には欠点がある。いくつかのある箇条は廃止されたのだというのが、サタンがいま持ち出している主張である。これはサタンが世にもちこむ最後の大欺瞞である」―各時代の希望下巻p.289.290
神の律法に対するサタンの敵意は執念深い。サタンは神の律法の一部だけでも取り除き、変更できたら彼の目的は達成されるのである。なぜなら神の律法の中の一つだけでも守ることができないように人類を欺くことができたら、すべての人類は自分の権勢の下に入るようになるからである。であるからサタンは新しい欺瞞を計画した。すなわち「時と律法とを変えようと」したのである。
このサタンの新しい欺瞞は世界中に蔓延している。多くの人々が神を信じると言いながら神の律法を踏み付けているのである。
これこそがサタンの願ったことである。サタンはこの世のほとんどすべての人々を欺く事に成功した。しかし生命を惜しまない忠実な少数の神の民によってサタンの最終的な計画は失敗した。であるからこの少数の民に強制的に神の律法を踏み付けさせ、自分が作った律法を守らせる計画を立てたのである。
サタンは自分のすべての知恵と能力を行使して全人類を欺こうとするが、欺かれずに、この欺瞞を暴露し、彼の勢力に対抗して戦う神の残りの民がいるであろう。
サタンの欺瞞を暴露するために、キリストが再びこの世に来られる必要はない。キリストの二回の勝利は完全な勝利だったので、他の証拠を要求する必要はない。キリストは昇天なさる前に御自分が始められた救いの働きを終了させるために、この地に御自分の教会を建てられた。キリストの働きはこの地の御自分の代理者である教会を通して神の律法の不変性と神の律法の完全さを証明されるのであった。
このためにキリストが自ら教会の礎になられ、彼の愛する弟子たちを十二の基礎の石にされたのである。そして最後の残りの教会の民を通して神の働きを栄光の中に終えられ、彼らを通して御自分の律法は服従することができ、神の律法は不変であるという事実を証明されるのである。その時に神はサタンを裁き、火の穴に投げ入れることがおできになるのである。
「大争闘が終る時にはそうではない。その時には、あがないの計画が完結し、神のご品性がすべての知的被造物に明らかにされる。神の律法の戒めは完全にして不変なものであることがわかる。その時、罪はその本性を現わし、サタンはその正体をばくろしている。その時、罪の根絶は、神のみこころを行うことを喜び、心に律法をしるされている人々の宇宙の前で、神の愛を立証し、神の栄えを確立するのである。」―各時代の希望下巻p.292
それゆえに、キリストに集中されていたサタンの恐ろしい怒りは、神の残りの教会に対して向けられるであろう。サタンは天とこの地にあってキリストに敗れたことによって、これ以上キリストに敵対することができない。したがって、サタンはこの地でのキリストの代理者である教会を敵対し、戦うために準備しているのである。
教会とサタンとの大争闘は善悪の大争闘の終結をもたらし、この戦いによる勝利者が永遠の勝利者となるのである。キリストの代理である教会がここで敗北するなら、それはすなわちキリストが敗北することを意味し、サタンがこの戦いで敗れるのなら、それはすなわち自滅を意味し、彼は火と硫黄との池に投げ込まれるであろう。
キリストとサタンとの二回の戦いにおいてすべての事は決定されていたが、神は救われる人間たちによって構成される教会にもう一度サタンとの戦いを許された。残りの教会の勝利によって神は完全な証しを持たれ、偽りの父であるサタンであっても二度と反論することができず、彼の訴えを永遠に沈黙させられるであろう。
教会を通して神の律法は守ることが可能で、変更されなかったことを証明し、神の品性を擁護されるのである。教会は栄光のうちに勝利することが約束されている。
「教会はキリストの恩恵の宝を蓄える保管場所である。だから遂に教会を通して神の愛が完全に現われ、世をその光栄で明るく輝かせるであろう。」―2TT,p.356
「教会はまもなく苦難の時代に遭遇するであろう。教会は麻布を着て預言をするであろう。しかし教会が迫害と反対に会わなければならないとはいえ、また異教徒や背教者たちに対抗して戦わなければならなくても、教会は神の助けによってサタンの頭を砕くであろう。主は 鋼鉄のように真実で花崗岩のように固い信仰を持った一つの民を持たれるであろう。彼らは世において、そのお方の準備の日に特別で栄光ある働きを成し遂げるために主の器、証人とならなければならない。」―教会への証4巻p.594,595

不法の秘密

 キリストの品性を証しする教会との最後の大きな戦いを残しているサタンは、最後の機会に勝利するため万全の準備している。サタンは新しい欺瞞と不法の計画を成就させようと計画を立てている。このサタンの計画を「不法の秘密」という。
キリストがこの地にご自分の代理として教会を建てられると、サタンはアダムを騙したように教会を欺き、反逆させ、自分の共労者にする計画を立てた。彼は神の教会を反逆させて自分の新しい計画(欺瞞)、すなわち不法の秘密を成就させようとした。ローマ・カトリック教会がまさにこの教会である。サタンは初代教会の時代すでに不法の秘密を成就させる働きを始めていた。
「だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。わたしがまだあなたがたの所にいた時、これらの事をくり返して言ったのを思い出さないのか。そして、あなたがたが知っているとおり、彼が自分に定められた時になってから現れるように、いま彼を阻止しているものがある。不法の秘密の力が、すでに働いているのである。ただそれは、いま阻止している者が取り除かれる時までのことである。」(第二テサロニケ2:3-7)。
「サタンは巨大な共同体である彼の教会を持っている。キリストは彼らをサタンの会堂と呼ばれたが、その理由はその教会員たちが罪の子達だからである。サタンの教会の会員たちは神の律法を捨て去り、善悪の区別を混乱させるため絶えず働いている。サタンは反逆をまるで真理と忠誠であるかのように高めるために不順従の子達の中で、また彼らを通して大きな能力で働いている。また今も彼は天で始まった神に対する大反逆を遂行するために、邪悪な霊感の能力で生ける代理者たちを鼓舞している。」―TM,p.16
神はご自分の教会が成長し、福音の種が全世界に蒔かれるまではサタンの活動を抑制なさるのである。しかし神の無限の知恵は時にサタンの不法の秘密が現われる事を容認され、全天下にサタンの計画と働きの結果を示されるのである。
「彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。」―ダニエル 7:25,26
サタンは自分が立てた偽の教会を通して神に敵対し、神の律法を故意に変更させて聖徒たちを悩ませたのである。ダニエルが預言したみ言葉の通り、ローマ・カトリック教会は「神の宮に座して」神だけが受けられることができるすべての栄光を横取りした。それだけでなく、神の品性の写しである律法の一部を故意に取り除き、変更したのである。
また神の聖徒たちをキリストの名によって殺害した。つまり十字軍を招集して獣を狩るように神の聖徒たちを殺し、罪のない聖徒たちの血を流し、ひと時とふた時と半時もの長い歳月の間にわたりサタンは故意に神の教会を踏み付けたのであった。
「龍は、自分が地上に投げ落されたと知ると、男子を産んだ女を追いかけた。しかし、女は自分の場所である荒野に飛んで行くために、大きなわしの二つの翼を与えられた。そしてそこでへびからのがれて、一年、二年、また、半年の間、養われることになっていた。」―黙示録12:13,14
教会は龍の怒りと迫害によってほとんど倒れそうになったが、神は教会にわしの二つの羽を与えて荒野で養われるようにされた。今日アルプスの山々(荒野)や洞窟の奥に神の民たちの足跡を捜し出すことができる。約1260年もの間、このような厳しい場所が神の教会の避難所になったのである。

不法の秘密の進展

「それから、わたしはひとりの聖者の語っているのを聞いた。またひとりの聖者があって、その語っている聖者にむかって言った、『常供の燔祭と、荒らすことをなす罪と、聖所とその衆群がわたされて、足の下に踏みつけられることについて、幻にあらわれたことは、いつまでだろうか』と。」―ダニエル8:13
「彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒は…彼の手にわたされる。」―ダニエル7:25
サタンの新しい欺瞞は神の律法を変更する事である。この計画を成就するためにサタンは「いと高き者の聖徒を悩まし」また「聖所を踏みつける」ことが聖書に預言されている。サタンは教会を迫害することによって聖徒たちが律法を守る事を諦めさせ、また神の聖所を踏みつけることによって、人々が神の道を捜すことができないようにした。サタンは彼の憎悪する神の律法が聖所にあったのでそれを憎んだ。サタンは神の聖所が健在である限り、神の律法を変更させることができなかったし、聖徒たちが神に進む道を塞ぐことができなかったのである。
であるから天の聖所の象徴であったモーセが建てた古代イスラエルの聖所、またソロモンが建てた聖所はサタンの憎悪の対象になったことを知ることができる。ユダヤ民族たちが幾多の異邦民族たちの侵略と圧迫を受けた理由はまさにユダヤの国に神の聖所があり、その聖所に神の品性の写しである神の律法と神の栄光―品性が現われていたからである。
しかしキリストが死なれたことによって、この地上の聖所はこれ以上必要なくなった。キリストが十字架上で「すべてが終った」と叫ばれた時、聖所の垂幕は見えない手によって上から下に裂け、神に捧げるために用意されていた羊は逃げたのである。
地上における聖所の働きは終わり、実際的な天の聖所におけるキリストの救いの働きが推進されるのであった。この地上にあった聖所は廃止され、本体である天の聖所において実際的な大祭司であられるキリストによって、救いの働きが始まったのである。神の品性の写しである律法は天の至聖所にあり、この地上においては彼の民の心に律法を刻まれるのである。
「わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつけよう。…」―ヘブル8:10
それだからサタンは聖徒たちの心に刻まれた神の律法を変更するために1260年の間彼らを圧迫し、天の聖所を踏み付けることで神の律法が人々に見られないようにしたのである。そうして当時の多くのクリスチャンたちは神に行く道を失って暗黒の世界に陥ってしまった。
ところで一つの疑問点がある。この地上にあった聖所は燃やすこともまた踏み付けることもできた。しかし天にある真の聖所をどのようにしてサタンが踏み付けることができるのかという問題である。これはまことに興味深いことであり、また必ず理解しなければならない研究主題である。
使徒パウロは、「あなたがたは神の宮」(第一コリント3:16)だと言った。なぜ私たちの体が聖所になりえるのだろうか?それは聖なる神の律法が聖徒たちの心にあるからである。聖所は神が宿られるためにご自分の民によって建てるように命令されたものである。「また、彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。わたしが彼らのうちに住むためである」(出エジプト記25:8)。
モーセが建てた聖所は神が宿られるために建てたものである。では神はどのようにしてその聖所に宿られたのだろうか?神はご自分の品性の写しである律法をそこに置くことによってご自身を現されたのである。であるから律法のある所が聖所すなわち聖なる場所なのである。
神はご自分の律法を人の手によって建てられていない所に置かれた。天の聖所にその原本を置かれ、またご自身の形に創造された聖徒たちの心にご自分の律法を置かれたのである。それだからわたしたちの心は聖所なのである。
サタンは神の律法に敵意を持っているということを忘れないようにしよう。この敵意のゆえに、彼は1260年もの間神の律法が心に刻まれている聖徒たちを悩まし、神の律法を保管している天の聖所における救いの働きを推進する教会を圧迫してきたのである。教会は人の手によらず、キリストが自ら頭石になられることによって建てられたものである。教会は律法が心に刻まれている聖徒たちが集まるので、サタンは教会を憎み、迫害して聖徒たちを殺したのである。
しかしサタンの窮極的な目的を達成するためには、「聖徒を悩ませ、教会を圧迫」する事以外にさらに進んで天の聖所から照らされる神の律法(栄光、品性)を人間が見ることができないようにする事だった。これがどのようにして可能なのだろうか?

天の聖所を踏みつける

すべての被造物の中で一番賢く創造されたサタンは、神から受けたその知恵を神に敵対するために使った。キリストがご自分の働きを遂行するために教会を建てられると、サタンは教会を欺き、反逆させて自分の共労者にしてしまった。すなわちこれこそがローマ・カトリック教会である。
この偽りの教会を通して天にある真の幕屋、すなわち天の聖所を踏みつけるという事を成就させるのであった。この偽の教会がサタンの不法の秘密を成就させるためにどんな事を実行したのかを考えてみてもらいたい。
「彼らは、法王を彼らの仲保者として仰ぐだけでなく、罪を贖うために自分自身の行ないに頼らねばならないと教えられた。長い巡礼の旅、難行苦行、聖遺物崇拝、教会堂、寺院そして祭壇の建築、教会への大金納入―これらの行為、またそれに類した多くの行為が、神の怒りを和らげ、神の恵みにあずかるために要求された。あたかも神が人間のように、ささいなことに怒り、あるいは贈り物や苦行によってなだめられるかのように。」―各時代の大争闘上巻p.53
この偽の教会は神への道をすべて遮断してしまった。私たちが神に行くことができる道はただ私たちの仲保者であられるキリストを通してである。しかしこの偽の教会は、人類の仲保者としてキリストではなく、単なる罪人に過ぎない法王を立てた。私たちの祈りはただキリストを通して神に上り、私たちのすべての罪悪はキリストの功績によって許しを受ける。
しかしこの偽の教会は、罪人が直接神に許しの祈りをすることができないようにして、法王や司祭、司教そして神父たちに告解をするようにし、天の聖所で奉仕しておられるキリストの仲保を踏みつけた。またサタンは民が天の光を見ることができないようにするために、聖書を燃やしたのだった。
であるからこの偽の教会(カトリック)が世の中を主導した時代を宗教暗黒時代と呼んでいる。この偽の教会が教えるすべての教理は人々が神の恩恵から断たれるようにした。一人の魂でさえキリストの仲保を受けることができないようにするため、サタンの欺瞞によって人間たちは徹頭徹尾騙されたのであった。彼らの祈りは罪人に過ぎない神父たちによって遮断され、天に上ることができなかったのである。
人類が救いを受けるのはただ信仰によってである。しかし彼らは行いによって救いを得ることができると教えた。苦行や巡礼などがまさにこのような偽りの教会によって生み出されただけでなく、サタンがこのように天の聖所を踏みつけた目的は、神の律法を変更するためであった。
「時と律法とを変えようと」したサタンはこの混乱を利用して不法の秘密を成就しようとするのだった。このようなサタンのすべての計画、すなわち「聖所を踏みつけて」「聖徒を悩ま」せ、時と律法を変更させることによって一人の魂も救われないようにする計画こそがまさに「不法の秘密」である。

危険な考え

近年、天に実際的な聖所はないという話をよく耳にする。天に聖所があるというのは一つの象徴にすぎないということだ。これは非常に残念なことであり、サタンを喜ばす話である。主の僕は、このような話をする人々が出ることをすでに預言していた。すべての再臨聖徒たちはこのようなサタンの欺瞞を糾弾しなければならない。
「将来あらゆる種類の欺瞞が起きるであろう。私たちがしっかりと立つためには、確固たる基礎が要求される。また私たちは建物のための丈夫な柱を望む。主が建てられた物はどんなものでも、一つでさえ移すことができない。魂の敵は聖所がないという偽の教理を引き入れるであろう。聖所問題は信仰から離れる者達が疑う問題の中の一つになるであろう。主が去る50余年の間に私たちに下さった真理でないなら、わたしたちはどこで安全な道を捜すことができるであろうか?」―レビュー・アンド・ヘラルド1905年5月25日
「天の聖所で行われている奉仕に対して正しく理解することは、 私たち信仰の基礎となる。」―手紙208ページ1906年
聖所真理はまさに再臨教会の信仰の基礎となる教理であり、変更することのできないものである。聖所真理は神の救いの計画の実際的な型であり啓示である。天の聖所は宇宙的である。すなわち聖所の庭はこの世であり(6T,p.366参照)聖所と至聖所は天国にある。ある人々は天に聖所があるというのは一つの象徴に過ぎず実際的な聖所は存在しないと言う。しかし、それは事実ではない。
贖いの小羊はキリストであり(第一コリント5:7)大祭司はキリストである(ヘブル8:1-5)。罪人のための贖罪の羊であられるキリストは祭壇で殺された。それならこのすべての真理は実際的なものではなく単なる象徴にすぎないものなのだろうか?このすべてのことはこの地上という聖所の庭で行われた実体なのである。
さらに進んで、2300の夕と朝の終りである1844年の預言は天の聖所の第一の部屋で奉仕されていたキリストが聖所(第一の部屋)の門を閉めて至聖所の門(第二の部屋)を開けて入られた実際的な救いの計画である。
天の聖所真理は私たちが理解しがたい部分があるのは事実である。しかしたとえそうだとしてもこのように重要な意味が含まれている真理を無理に解釈し、さらに進んで否定するのなら、サタンの惑わしに陥ってしまうのである。今日実際的な天の聖所真理を否定する者たちは「信仰から離脱した」者たちであるということができる。
              ・・・4章に続く。

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