「謙遜に」

  「謙遜を身につけなさい。神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜うからである。」(ペテロ第一5:5)

 「ヨハネの生活と品性にあらわれていたキリストヘのひたむきな愛と無我の献身は、キリスト教会に口で言いあらわせない価値のある教訓を与えている。ヨハネは、のちの経験にあらわれているような美しい品性を生まれつき持っていたのではなかった。彼には生まれつきのひどい欠点があった。高慢で、身勝手で、名誉欲が強かったばかりでなく、激しい性質で、侮辱されると憤慨した。……しかしこうしたすべてのものの下に、天来の教師イエスは、熱心で、誠実で、愛すべき心を認められた。イエスは彼の身勝手を譴責され、彼の野心をくじいて、信仰を試めされた。しかしイエスは、ヨハネの魂が求めていたもの、すなわち、聖潔の美、愛の改変力を彼にお示しになった。」(患難から栄光へ下巻242)
 「キリストの教えは、恵みに成長し、みわざにふさわしいものとなるために欠くことのできない柔和と謙遜と愛を説くもので、ヨハネに最も貴重なものとなった。彼は一つ一つの教えを大事にして、絶えず自分の生活を聖なる模範に一致させる努力をした。ヨハネはキリストの栄光を見分けはじめていた。彼がこれまで追い求めるよう教えられてきた世的なはなやかさや権威ではなく、『父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちて』いるものであった(ヨハネ1:14)。……ヨハネはイエスのようになりたいと望んだ。そして、キリストの愛の人間を変える感化力のもとに、彼は柔和で謙遜になった。自己はイエスの中に隠された。」(同上246,247)
 「主イエスは、主の恵みを伝えるのにさまたげるもののない水路となる人々の協力をお求めになる。……学ばねばならない第一のことは、自分にたよらないという教訓である。その時彼らはキリストの品性を与えられる用意ができる。これはどんなに科学的な学校の教育によっても得られないものである。それは天来の教師イエスからのみ得られる知恵の実である。……
 科学や芸術において最高の教育を受けた人々が、世の人々から無学のレッテルをはられているようないやしい身分のクリスチャンからとうとい教訓を学んできた。しかしこれらの無名の弟子たちは、すべての学校の中の最高の学校で教育を受けたのであった。彼らは、『この人の語るように語った者は、これまでにありませんでした』といわれているキリストの足下にすわったのであった(ヨハネ7:46)。」(各時代の希望上巻310,312)




 
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