「わたしたちが失敗する時」

 「わが敵よ、わたしについて喜ぶな。たといわたしが倒れるとも起きあがる。たといわたしが暗やみの中にすわるとも、主はわが光となられる。」(ミカ7:8)

 「神の力だけが人間の心を再生させ、キリストの愛、ご自分が死なれた者たちのために常に愛を示す愛を魂に吹き込むことができる。しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、善意、信仰、柔和、自制である。人が神に改心する時、新しい道徳的嗜好が備えられ、新しい動機の力が与えられ、彼は神が愛されることを愛するようになる。……愛、喜び、平和また言葉では言い表せない感謝が魂を満たし、祝福された者は『あなたの助けはわたしを大いなる者とされました』と言うのである(詩篇18:35)。
 しかし、罪に勝利するために、自分では断固とした努力をしないで、自分の品性に不思議な変化が見えるのを期待している者は、落胆するであろう。わたしたちがイエスを見つめている間、恐れる理由はないし、イエスはご自分のところへ来る者をすべて、最後の一人までも救うことがおできになるということを疑う理由もないのである。しかし、わたしたちは自分たちの古い性質が再び支配権を持たないように、絶えず気をつける必要がある。わたしたちが再びサタンの奴隷になるようにと、敵が何らかの罠をしかけるからである。わたしたちは恐れおののいて、自分の救いの達成に努めるべきである。なぜならあなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。……
 わたしたちは、日々霊的美しさに成長すべきである。わたしたちは自分の努力で、天の模範を真似るのにしばしば失敗する。わたしたちは自分の欠点やあやまちのゆえに、イエスの足下にひれ伏して、泣かねばならないことがたびたびある。しかしわたしたちは落胆してはならない。わたしたちはもっと熱心に祈り、もっと完全に信じて、わたしたちの救い主の姿に成長するためにもう一度、もっとしっかりと努力するべきである。わたしたちが自分の力に頼らない時、贖い主の力に信頼し、わが助け、わが神なる主をほめたたえるようになる。……
 わたしたちは眺めることによって変えられる。天から与えられた型の完全さを瞑想する時、その純潔のみ形に合わせて完全に改変され、新たにされたいという望みを持つようになる。品性の内に変化が起き、怒りの子が神の子となるのは、神の御子に対する信仰によるのである。」(セレクテッド・メッセージ1巻336-338)

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