SDAと宗教統一運動20

 1975年、ブラジル語版の牧師会の雑誌3月、4月号(O Ministerio[The Ministry]、March-Apri 1、 1975、Brazilian edition)の聖霊の賜物運動についての記事で、ユーロアフリカ支部の総理(1975年)、ジン・ズチョ牧師は次のように言う。「この運動についてどのように考えるべきか。私たちの教会で青年たちと壮年たち、しかも牧師たちでさえ、なぜ、私たちは聖霊の陽物を経験しないのだろうか。結局これが真の聖霊ではないか。使徒パウロはコリント教会に送る手紙の中で、『わたしは実際、あなたがたがひとり残らず異言を語ることを望む』と書いたのではないか(第一コリント14:5)。また彼は『だれよりも多くの異言が語れることを、神に感謝』しているのではないか(第一コリント14 : 18)。それではいやしの賜物について私たちは何と言ったらいいか。よく見られているように、この主題は深く研究する価値があるのである。」
 このようにアメリカだけで見てもわかるように、聖霊の賜物の現象が起きている他の福音主義諸教会に同調しようとする傾向がセブンスデー・アドベンチスト教会の中にある。このような傾向はSDA教会の青年たちの中で特に目立っている。 1974年、世界総会青年部長ネルソン牧師はこの事実に対して嘆き悲しんで次のように語った。
  「サタンは今、セブンスデー・アドベンチスト教会員たちの心を準備している。 ・・・私は米国全国のあちらこちらを巡回している時、今日の青年たちのこのような叫び声を聞くのである。『律法については話さないでください。私たちがただ願っているのはイエス様だけです。私たちは主の愛についてだけ聞きたいんです。あなたの心に祝福がありますように願います。私はイエス様について、またその愛について話したいのです。』しかし、このような種類の感情、このような種類の運動はアドベンチストの青年たちに大きな失望を与える備えをしているのである。どんなことが起きているだろうか。
・・・教会の中に2、300の夕と朝の預言について全く知らない幾千の青年たち、否、若い者たちがいる。ダニエル7章について説明する必要がある時、彼らは説明できないのである。皆が三天使の使命について語る時、彼らは時代遅れのことのように考え、今は忘れるべきことであると考えている。またそれは今日どんな意味も持っていないかのように考えているのである。・・・そして、彼らは次のように言う。『私たちの教会は他の教会と異なることは全くない』と。私は私が語っていることがどんな意味を持っているかを知っている。彼らは惑わされるために準備している。今、世を占領している狂喜の神学思想を考えてみなさい。 ・・・(ネルソン牧師はそれを説明する。)・・・無意味なことば(はかげた考え)、耳ざわりな作り話なのである。どうしてセブンスデー・アドベンチスト教会の信徒たちがこのようなくずだらけの作り話を信じ得ようか。しかし狂喜の神学思想はSDA教会の講壇から聞かれ、アドベンチストの青年たちによって真理のようにあかしされており、アドペンチストの書店で販売されており・・・、ちょうど昨日、私はそれらがここに並べられているのを目撃したのである。 ・・・私たちの青年たちは『私たちは霊において一つである。』という歌を歌っている。どんな霊によって一つなのであろうか。それは、言い換えれば、ペンテコステ教会の異言運動の歌であり、彼らは叫びながら歌うのである。『私たちは霊において一つである。』だれが踊って叫び呼ばわっているだろうか。今日、どんなことが起こっているのか。何かが私たちの中に入り込んでいる。声もなく、しかも引き続き、私たちが惑わされるように備えをしている。私たちは教会の内外で攻撃を受けている。今日、幾千の者が容易にバビロンの福音主義の教理を受け入れているのである・・・・。」(ネルソン牧師のテープから)…続く。

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