「わたしたちのカリキュラム」

 「なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、…全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。」(コリント第一13:9,10)

 「信仰によって、わたしたちは来世を見上げ、人間の能力が神の能力と一つになることで、知性が成長するという神の契約をつかむ。そして魂のすべての力は、光の源と直接的接触に入れられる。わたしたちは神の摂理においてわたしたちを困惑させたすべての事は、その時はっきりすることを喜ぶことができる。理解し難かった事柄がその時には説明がつく。」(教会への証5巻706)
 「無我の精神で働いてきた人々は、そこに自分たちのほねおりの結果を見るであろう。あらゆる正しい原則と尊い行為の成果が見られるであろう。その幾らかはこの世においても見られる。しかし世界の最もとうとい働きの結果は、この世においてはそれをなした本人にもほとんどわからないのである。おのれを忘れてたゆまずに働いた結果がどれほど彼らの手の届かない知らない人々に及んでいることであろう。親も教師も最後の眠りにつくときに、自分の一生の働きはむなしかったように思われるかもしれない。彼らは、自分の忠実さによって開かれた祝福の泉から小やみなく水が流れ出ていることを知らない。ただ信仰を通してのみ、彼らは自分の教育した子供たちが人類同胞の祝福となり霊感となって、その影響が幾千回となくくりかえされることを知るのである。多くの働き人は力と希望と励ましの言葉、全地の人々の心に祝福を与える言葉を伝えるが、しかし世に名も知られないでひとりでほねおったその結果は自分にはわからないのである。このように彼らは賜物を与え、重荷を負い、働きをなすのである。人は種をまくが、それは彼らが墓にはいってから祝福の収穫となって他の人に刈り取られるのである。彼らは木を植えるが、その実は他の人が食べるのである。彼らはこの世では、自分が良い働きを始めたことを心に思うだけで満足する。来世ではこうしたすべての働きとその結果が明らかにされるであろう。
 無我の奉仕をするように神から与えられたあらゆる賜物について、天に記録がしるされている。多方面にわたるその記録を調べたり、われわれの努力によって高められとうとくされた人々について調べたり、それらの人々の経歴に真の原則の成果を見たりなど、こうしたことが天の学校の勉学と報賞の一つとなるであろう。」(教育357,358)



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