「力は神の子となるため、 わたしたちに与えられた」

  「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。」(ヨハネ1:12)

 「神の子となるというのはわたしたちが自分自身で手に入れるものではない。キリストを自分の救い主として受け入れる者に対してだけ、神のむすこ、娘となる力が与えられる。罪人は自分自身の力で、罪から抜け出すことはできない。罪人は自分自身の力で、罪から抜け出すことはできない。そうなるためにはもっと高い権力をもったお方を見なければならない。ヨハネは『見よ、世の罪を取り除く神の小羊』と叫んだ。キリストだけが心を清める力を持っておられる。このお方の許しと受け入れを求め続けている者は、ただ、『わたしは手に何も持っていません。ただあなたの十字架にすがりつきます』と言うことができるだけである。しかし息子になるという約束は、『その名を信じる』すべての者に成就する。信仰をもってイエスのもとに来る者はみな許しを受ける。」(レビュー・アンド・ヘラルド1903年9月3日)
 「キリストの宗教は心を改変する。世俗的な思いを持っている人を天国のことを思う人にする。この感化のもとに利己的な人は無我の人となる。それがキリストの品性だからである。正直でなく、たくらみを持っている人は正直になる。自分にしてもらいたいように他の人々にするということが彼にとって第二の性質となる。不品行な者は不純な者から純潔な者へと変わり、正しい習慣を形造る。キリストの福音がその人にとって命から命にいたる香りとなるからである。」(サザン・ウオッチマン1905年2月7日)
 「神は、キリストによって、ご自分をあらわし、『世をご自分に和解させ』ようとなさった(Ⅱコリント 5:19)。人間は罪を犯して堕落したために、自分の力では、清く恵み深いご性質の神と調和することができなくなった。しかし、キリストは、律法の罪の宣告から人間を贖ったあとで、上からの力を人間に与えて、人間の努力とそれを結合させることがおできになるのであった。こうして神に対する悔い改めとキリストを信じる信仰によって、アダムの堕落した子らは、もう一度『神の子』(Ⅰヨハネ 3:2)となることができるのであった。」(人類あけぼの上巻54)
 「魂はキリストを受け入れる時、キリストのような生活を送る力を受ける。」(キリストの実物教訓294)

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