「イエスはみ父の本質の真の姿」

 「御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのである。」(ヘブル1:3)

 「キリストとはどなたであろうか。この方こそ生ける神のひとり子であって、神にとって、思想を表現することば、すなわち聞こえるようにされた思想であり、神の言葉である。キリストはピリポに『わたしを見た者は父を見たのである』と言われた。その言葉は神のみ言葉のこだまであった。キリストは神と同じであられ、神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であった。」(ユース・インストラクター1894年6月28日)
 「個性のある方として神はご自身を御子の内にあらわされた。み父の栄光の強く輝く方であり、『神の本質の真の姿であるイエスは、人としての姿をとって地上でくらされた(ヘブル1:3)。このお方は個人的救い主として世に来られ、個人的救い主として天に昇り、個人的救い主として天の宮廷でとりなしをしておられる。神のみ座の前で『人の子のような』方がわたしたちのためにとりなしをしておられるのである(黙示録1:13)
 世の光であるキリストは、ご自分の神性という目もくらむほどの輝きを覆って、人々が焼き尽くされることなく自分たちの創造主を知ることができるように、人々に、まじって人として生きる為に来られた。・・・キリストは神が人々に知ってほしいことが何であるかを教えるために来られた。上なる天において、また地上でも広大な海の中でもわたしたちは神のみ手のわざを見る。すべての被造物は神の力、その知恵と愛を証している。しかし星や大海や大滝からだけではなく、わたしたちは神の本質がキリストのうちにあらわれているので、これを学ぶことができる。」(教会への証8巻265)
 キリストはたえず他の人々に、あわれみ深く、優しい同情心にあふれたおもいやりをもって神のご品性をあらわし、神と人への奉仕にたずさわり続けられた。・・・神は、ご自分に従う者たちが、イエスが人性をとっておられた時にようであるようにと思っておられる。救い主の力強さのうちに、わたしたちはこのお方が過ごされた純潔と高潔の生活をしなければならない。」(教会への証8巻286,289)

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