「罪を犯すなら、イエスは天でわたしたちのために嘆願してくださる」

  「わたしの子たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためである。もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる。」(第一ヨハネ2:1 )

 「主エホバは、救いの計画が、ご自分の愛を与えるだけで完成するとは思われなかった。この御方は、ご自分が指名して、私たちの性質を身にまとった弁護者を祭壇の上に置かれた。キリストの務めは、わたしたちの仲保者として、神にわたしたちをその方の息子、娘として紹介することである。
 キリストはわたしたちの身代わり、また保証人であり、だれをも無視することはないと誓っておられる。この御方の服従から生ずる完全な従順という尽きることのない財源がある。天にはこの方の功績、克己、そして自己犠牲がご自分の民の祈りと共に捧げるための香りとして大切に保存されている。罪人の心からのへりくだった祈りが神のみ座に上がる時、キリストはご自身の完全な服従の生涯という功績を、その祈りに混ぜられる。キリストはわたしたちのために仲保をすると誓われたので、み父はいつも御子の言葉を聞いてくださる。
 これは信心の奥義である。キリストは人性をとり、へりくだった生涯によって、神の道徳上の価値という計りの中で人を高めなければならなかった。そのためには、人性を神のみ座にたずさえて行き、そこでみ父が天使たちに与えておられる非常な名誉をご自分の子らにも与えてくださるようにと、み父に子らを示される。この名誉は全天の驚異であり、み使いたちもうかがち見たいと願っている事であって、罪人の心を溶かす愛である。」(原稿21,1900年)
 「破滅にさらされた人間を永遠の滅びから救うためにはご自分の魂を死に至るまで注ぎ出すこと以外考えることのできなかったお方は、自分で自分を救うことはできないことに気づいている魂をみな、憐れみと深い思いやりをもって見ておられる。」(世界総会冊子4,1899年)
 「キリストはあなたの助け手であられる。この力強い神の愛を心から感謝してキリストのみ手を取り、堅く握りしめなさい。そのみ手はあなたが握ることができるよりもっと堅くあなたの手を握りしめることができる。」(手紙182,1901年)

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