「愛によって働く信仰を受ける」

 「キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、問題ではない。尊いのは、愛によって働く信仰だけである。」(ガラテヤ5:6)

「あなたが主に嘆願するとき、すぐれた学識を自慢するのではなく、へりくだって神の祝福を求める心からの魂の飢え渇きをもって嘆願すべきである。キリストは心のうちに何を大切にしているか、常に知っておられる。主がわたしたちの祈りを聞き、応えて下さることを信じていかなければならない。なぜなら『信仰によらないことはなにごとによらず罪』だからである。真の信仰は愛によって働き、魂を清める信仰である。生ける信仰は働く信仰である。わたしたちは庭に入って、樹液がなく、葉が青々としておらず、芽ぶいてもおらず、花は咲かず、幹や枝に生命のしるしが見えない木をみつけたなら、『この木は枯れている。抜いて庭の外へ捨てなさい。花壇を損なうから』と言うであろう。キリスト教を公言し、霊的でない者はそれと同じである。宗教的な活力のしるしがなく、主の戒めを行っていないなら、生けるぶどうの木である。キリストの内にとどまっていないことは明らかである。」(ユース・インストラクター1894年9月13日)
 「信仰と愛はクリスチャン品性の本質的で、力強く、実際に役立つ要素である。これを持っている者はキリストと一つであり、このお方の任務を推進している。・・・わたしたちはたえず学ぶ者としてキリストの足元に座り、このお方の賜物である信仰と愛をもって働かなければならない。そのときわたしたちはキリストのくびきを負い、その荷を持ち上げる。そしてキリストはわたしたちをご自分と一つの者として認められ、その人は『あなたがたは神の同労者である』と天で言われる。若い人々は、信仰がなければ神に喜ばれることはできないことを、また愛によって働き、魂を清める信仰でなければならないことを覚えているであろうか。」(ユース・インストラクター1894年8月2日)
 「わたしたちは単純な信仰と質問しない服従の価値を評価しすぎることはない。品性が完全になるのは単純な信仰によって服従の道を踏み従うことによってである。」(原稿5,1895年)

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