「神により頼む」

 「わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。」(詩篇9:4)

 「学ぶべき初めの教訓・・・は神により頼むという教訓である。野の花が土の中に根を張っているように、空気や露、雨、また日光を受けなければならないように、わたしたちは魂の生命を支えるものを神から受けなければならない。」(教会への証7巻294)
 「神の御隣在がクリスチャンに保証されている。この信仰の岩は神の生けるご臨在である。最も弱い者もご臨在により頼むことができる。自分を最も強いと思う者は、自分の力としてまた価値としてキリストにより頼まないかぎり、最も弱い者となる。これこそわたしたちが首尾よくその上に建てることのできる岩なる方である。神はキリストの贖いの犠牲のうちに、その仲保のうちに、教会に及ぼすその麗しく愛情のこもったご支配の中に近くおられる。永遠のみ座に座られ、神は強い関心をもって教会員を眺めておられる。教会員が信仰を通してイエス・キリストから活力と栄養を吸い、人の意見や工夫、方法に頼らないかぎり、またキリストにある神との緊密さを確信するなら、彼らはキリストに完全な信頼を置き、枝が親木の幹とつながっているように、キリストとの生きたつながりをもつ。教会は人間の理論や、長々とした計画、また形成の上に設立するのではない。教会はキリストを自分たちの義としてより頼むのである。教会は『黄金の力もそれに打ち勝つことはない』キリストのうちにある信仰の上に建てられるのである。・・・
 「あらゆる魂の力は神のうちにあるのであって、人間のうちにはない。平穏と確信が、自分の心を神に捧げるすべての者の力とならなければならない。キリストはわたしたちに表面的な関心をもっておられるのではなく、母親が子供に関心を持つ以上の強い関心をもっておられる。・・・わたしたちの救い主は、人間としての苦しみや悲しみによって、また侮辱や非難、ののしりや嘲り、拒絶と死によって、わたしたちを買い戻された。このお方は神のおののいている子であるあなたをみ守っておられる。あなたをご自分の保護のもとに守られる。・・・人間としてのわたしたちの弱さは天父へわたしたちが近づくのを妨げはしない。『キリスト』がわたしたちのために仲保をなさるために死なれたからである。」(原稿15,1897年)

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