133「時は預言的時期」


 「それから、海と地の上に立っているのをわたしが見たあの御使は、天にむけて右手を上げ、天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを造り、世々限りなく生きておられるかたをさして誓った、『もう時がない。(時を延ばしてはならない)』」(黙示録10:5,6)
 もう時がない。(時を延ばしてはならない)―このようなきわめて厳粛な宣言の真意はいったい何なのであろうか。第一にその時とは何をさすのであろうか。これは世の中で一般的に用いられている時、すなわち永遠と対比するところの時が終るべきであるという意味で理解することはできない。次の節には第七の天使が声を出す時期についての記述もあり、また11章15〜19節にもこの第七のラッパの下におこるべき事件について記録があることからみても、この事は明らかである。しかしだからといってこの時は、神に立ち帰る得る恩恵期間をさすのでもない。またこの恩恵期間はキリストが祭司としての務めを終るまで止むものでもなく、またキリストの務めも第七の天使の声が聞こえ始めた後には終らないからである (黙示録11:15,19、同15:5−8参照) 。そうであるのなら、これはどうしても預言的時期を意味するものでなくてはならないという事は明らかであって、その他にはこれに当てはめるべきものはみられないのである。預言的時期をこののち延ばしてはならない。しかし、すぐ次の節に「第七の御使が吹き鳴らすラッパの音がする時には(第七の天使が声を出す時には)」という句がある。そしてこれは第七の天使の声を出すべき年月を意味するものであるから、こののち、預言的時期を延ばしてはならないと言ったからといって、これを必ず預言的の意味において時を使用することはできないとの意味で理解すべきではない。むしろこの使命以上の長期にわたる預言時期はあるべきではなく、その最長のものもここに終局を告げるに至る事を意味すると解釈すべきである。この点、預言的最長期間も1844年の秋以後に及ばないことをダニエル8:14節の講解を参照して調べていただきたいと思う。







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