「他の人々に対する愛において」

 「こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。」(エペソ5:1,2)

 あなたがたは神に愛されている子供として神にならい、キリストがわたしたちを愛してくださったように、愛のうちを歩きつつ、神のすべてのご要求に従うべきである。・・・愛は、キリストが行動し、歩み、働かれた基本要素であった。このお方はご自分の愛のみ腕に世を抱くために来られた。
 わたしたちはキリストが示された模範に従い、このお方がわたしたちのためにあらわしてくださったように、他の人々に対して同じ愛をわたしたちが持つようになるまで、このお方をわたしたちの模範としなければならない。キリストはこの愛という意味深い教訓をわたしたちに印象づけようとしておられる。・・・もしあなたの心が自分本位に傾いているのなら、キリストにその愛を吹き込んでいただきなさい。このお方はわたしたちがご自分を全的に愛することを望んでおられる。そして、ご自分が模範を与えて下さったように、わたしたちも他の人々を愛するようにと励まし、命じてさえおられる。キリストは愛を弟子の身分の徽章とされた。・・・これは『わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい』というところまであなたがたが達するための測定値である。なんという愛の高さ広さであろうか。この愛はたんに気に入った数人を含むのではなく、神の被造物の最も低いもの、最もつまらないものにまで及ばなければならない。イエスは『わたしの兄弟であるこれらの最も小さな者の一人にしたのは、すなわちわたしにしたのである』と仰せになる。・・・
 わたしたちが他の人々へ与えるようにと、イエスが望んでおられる愛と同情は、魂へのわなである感傷主義の香りがするものではない。それは天において採取された愛、イエスが教えと模範によって実例を示された愛である。しかし、この愛をあらわす代わりに、わたしたちは何とたびたび互いに不和となり、仲たがいをするのだろうか。・・・その結果は神からの離反であり、向上を妨げる経験、クリスチャンの成長をくじくことになる。・・・イエスの愛は、クリスチャン同志のきずなで、心と、心を結びつける活動的な原則である。天国に入る一人一人は地上で愛において完全になっている。なぜなら天国では贖い主と贖われた者がわたしたちの関心の的となるからである。」(ユース・インストラクター1892年10月26日)

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