善をなし、他の人々を祝福するについて

 「神はナザレのイエス聖霊と力とを注がれました。このイエスは、神が共におられるので、よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。」(使徒行伝10:38)

 「キリストは地上におられた時奇跡を次々と行われた。この働きの中でこのお方は、神が苦しんでいる体と魂のために何がおできになるかを示された。・・・このお方はご自分に与えられたあらゆる機会を利用しながら、たえず他の人々に仕えられた。子供時代でさえ、若い人にも年配の人にも慰めと優しい言葉をかけられた。・・・このお方はあらゆる子供たちがそうなるようにと励むことのできる模範であられた。・・・その言葉と行動において、キリストはすべての人に優しい同情をあらわされた。その交際は落胆した人、気落ちした人に対するいやしと痛みを和らげる香油であった。」(ユース・インストラクター1898年9月8日)
 「このお方は何者もかき乱すことのできない忍耐力、またわきへそれることのない誠実さをもっておられた。このお方の自発的な手と足はいつも他の人々に仕え、両親の重荷を軽くする用意ができていた。(ユース・インストラクター1872年4月8日)
 「イエスの模範に従うよう気を付けていなさい。ひまわりがたえず花を太陽に向けて咲いているように、あなたの心と思いをたえず義の太陽イエスに向けていなさい。自己を中心にし、自分の楽しみと願いを第一にしてはならない。他の人々の益を求めなさい。彼らにとって祝福となること、あなたの創造主に栄光を帰すことを研究しなさい。」(ユース・インストラクター1884年5月14日)
 「われわれの周囲の至る所に、世界の嘆き悲しむ叫び声が聞こえる。どちらを向いても、貧しい者や困っている者がいる人生の苦労や悲惨に救いの手を伸べて和らげるのが、われわれの務めである。人の心の欠乏は、ただキリストの愛だけが満たすことができるのである。もしキリストがわれわれのうちに住んでおられるならば、われわれの心は、神からの同情心で満ちあふれる。閉じた泉が開かれて、キリストのような熱烈な愛の泉となる。
 希望を失った者が多くいる。彼らに太陽の光を取りもどそう。勇気を失った者も多い。彼らに励ましの言葉を語ろう。彼らのために祈ろう。生命のパンが必要な人々もある。彼らに神の言葉を読んで聞かせよう。」(国と指導者下巻319)

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