「キリストが聖であられるようにわたしたちも聖となるべきである」

「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである。」(第一ペテロ1:16)

 「神がご自分の領域で聖であられるように、わたしたちも自分の領域で、限りある力をもって聖なる者でなければならない。」(レビュー・アンド・ヘラルド1892年11月1日)
 「神はわたしたちが自分の前に置かれた型であるお方の通りに品性を建設することを望んでおられる。与えられた指示に従って自分の弱点を見つけ、これを正して、ひとつずつレンガを積み上げ、恵みに恵みを増し加えなければならない。家の壁に亀裂が見つかれば、その建物には何か不備があることがわかる。わたしたちの品性建設において、亀裂がたびたび見られる。これらの欠陥が矯正されないかぎり、試練という嵐がおそってきた時、その家は倒れる。
 神はご自分の是認の印を押すことのできる品性を、わたしたちに力強さ、判断力、時を与えておられる。ご自分の子らが一人一人、純潔で気高い行為をなすことにより、気高い品性を築くことを神は喜んでおられる。そしてついには人と神とに栄誉を授けられる。均整のとれた建物、美しい宮を提供されるためである。
 自分の品性建設において、わたしたちはキリストの上に建てなければならない。キリストは確実な土台、すなわち決して動かされることのない土台である。誘惑や試練という嵐も、永遠の岩に釘づけにされた建物にふさわしく成長したいと願う者は自分のあらゆる能力を向上させなければならない。品性が調和して発達できるのは、タラントを正しく用いる時だけである。このようにして、わたしたちはみ言葉の中で金、銀、宝石すなわち神の清める火の試練に耐える材料として表されている材料を土台にする。」(チャイルドガイダンス165、166)
 「聖潔は忘我の境地ではない。それは意志を全く神に従わすことである。それは神のみ口から出る一つ一つのことばで生きることであり、天の父なる神のみこころをなすことである。光のうちにいる時と同様に、試練の時にも暗黒の時にも神により頼むことである。また、目で見て歩くのでなく、信仰によって歩むことである。それは少しも疑わずに確信をもって神に頼み、神の愛に安らぐことである。」(患難から栄光へ上巻47)

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