「キリストを告白する」

 「もし人が、イエスを神の子と告白すれば、神はその人のうちにいまし、その人は神のうちにいるのである。」第一ヨハネ4:15

 「ヨハネがここで話している告白とは名ばかりの信仰の結果ではなく、生きておられる救い主のうちにとどまっている信仰の結果、すなわち、キリストの苦しみと死を通して、救いの祝福をわたしたちの手の届くところにもたらされたことを信じる結果のことである。そしてこのお方は死からよみがえり、わたしたちのためのとりなしをするために永遠にいきておられる。わたしたちはイエスが自分の救い主であること、またこのお方がわたしたちを愛して、わたしたちのためにご自身を享受することも、平安や希望を得ることもないことをはっきりと自覚しなければならない。」(ユース・インストラクター1898年11月6日)
 「キリストの義を求めるわたしたちの要求は、わたしたちが約束されている条件に応じるなら、欠点のないものである。神は一つの豊かな賜物のうちに全天をわたしたちにお与えになった。だから、わたしたちがキリストを自分の個人的な救い主として受け入れるなら、この賜物に含まれているものは何であってもわたしたちのものである。・・・あなたを暗闇から驚くべきみ光に招き入れてくださったイエスをあがめつつ、このお方のことを語りなさい。このお方の憐れみについて語り、その御力について話すために舌を訓練しなさい。」(ユース・インストラクター1894年7月12日)
 「クリスチャンの青年よ、あなたは全世界に、天使にも人々にも見世物である。神にあって勇敢でありなさい。神の武具で身をかため、あなたが神のすべての戒めに忠実に、また真実に立っているがゆえに、あなたの命が損なわれていないことを、あなたの周りにいる未信者に見させなさい。あなたは神のために確固たる証人となることができ、神はあなたがそうなるようにと命じておられる。キリストが地上における伝道を閉じるにあたって、弟子たちに語られた励ましの言葉をわたしたちはよく考える必要がある。・・・残酷な死が目の前にあっても、ご自分に従う者へのキリストの御言葉は希望にみちたものであった。このお方は弟子たちの心にできる限りの慰めをすべてもたらそうと望まれた。このお方にあって強くなろうではないか。」(手紙24,1912年)

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