目的をもって与えられた命

「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。」(創世記2:7)

 命という神の無償の賜物を持つ者として、わたしたちは有用さの最高にまで達するために全力を尽くさなければならない。健全な体によく調和の取れた思いを持だない人々は、自分たちの生涯の働きを果たせない。(原稿10巻56)
 命はわたしたちが所有しているクラントを賢く発達させるために与えられている。わたしたちの機会が大きければ大きいほど、すべての良い賜物の与え主への責任も大きくなる。わたしたちは神の所有であるから、自分の行動すべてについてこのお方に申し開きをしなければならない。もしわたしたちの生涯に気高く無我の行動がないとすれば、それらはこのお方の目にどれほど哀れなものに映ることであろうか。もし怠惰のうちに、快楽を求め、不真面目に過ごしてきたとしたら、どうであろうか。
 アダムは全地の王として、栄光に満ちたエデンに置かれた。しかしなお、彼にはなすべき仕事が与えられた。創造主は園を手入れし整えるようにと彼にお命じになった。このように神の知恵は、罪のない人にとって仕事をすることが最善であるのをご覧になった。そうであれば堕落した人類にとって有益な労働に自分の時間を用いて、多くの誘惑への戸を閉じて悪の侵入を防ぐことはどれほどもっと必要であろうか。
 することが何もない人々は、もっとも惨めな人間である。性癖と快楽への愛によって導かれるのは満足感を与えない人生であり、わたしたちはその中で何か物惜しみをしない行為、何か熱心で活動的な働き、世を祝福することをむなしく捜し求める。一日一日の記録を点検するとき、わたしたちは自分たちの口座に、利己的満足を超越した残高を見出せるようにすべきである。すなわち、自分自身を向上させ、同胞の益となり、神に受け入れられることを何かなしとげたことを確認すべきである。(健康改革者1877年12月1日)
 受ける者はだれでも神に申し開きをし、自分のタラントを神の栄光のために用いなければならない。(レビュー・アンド・ヘラルド1912年4月4日)


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