完全な教訓

「主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。」(詩篇19:7)

 最終決算の日にキリストは、ご自分が人間の贖いのためにご自身の命を与えることで果たされた大いなる働きを、彼らの前にお示しにはならない。彼らがご自分のためになした忠実な働きを彼らの前にお示しになる。これは何という無比の愛であろうか。このお方は、主の律法についての知的な知識は持っ
ていないが、自然の事物の中で自分に話しかけている声に聞き従うがゆえに、律法が要求するまさにそのことを行なっている異邦人の働きにさえ言及される。聖霊が未開人の心の中にキリストの御霊を吹きつけ、彼が神の僕の味方となるとき、心を活気づけるものが彼の性質に逆らい、彼の教育に逆らう。暗くなっている思いに働きかけている神の恵みは、人間の知恵によって教えを受けていない未開人の性質を和らげている。だから彼らのすべての残酷な行為においても、これらの教育を受けていない異教徒は、大いなる光と証拠を持っていながら、神のあわれみと謎責を拒んでいる人々よりも、もっと好意的な光の中で見ていただける。
 キリストは未開人の心にご自分の恵みを吹き込まれるので、彼は真理と命のみ言葉を聞いて十分理解する前ですら、その伝道者の必要に奉仕する。神の僕に害を加えようと彼の周りに集まった群衆を見よ!しかし主はご自分の僕のために嘆願するようにと、一人かもしれないが、ある人の心と思いに働きかけておられる。そして軍事会議がそのクリスチャンの命を取ることを決定するとき、その未開人のとりなしは決定を覆し、彼の命は助かる。ああ、このひとつの行為のために未開人へと出て行く愛よ!審判でキリストはそのような者に仰せになる。「あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである。」「わたしの父に祝福された人だちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい」(マタイ25:35,36,34)。(レビュー・アンド・ヘラルド1898年9月20日


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